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浦和地方裁判所 平成元年(わ)702号 判決 1992年3月19日

主文

被告人を懲役三年に処する。

この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用中、証人瀬田薫に支給した分の全部並びに証人伊藤伍朗、同長野繁、同小池甫、同U及び同松本弘に各支給した分の二分の一は、これを被告人の負担とする。

平成元年一〇月七日付け起訴状記載の公訴事実第二・二の事実につき、被告人は無罪。

理由

【理由目次】

第一  事実

一  被告人の身上・経歴

二  乙に対する贈賄事件

(犯行に至る経緯)

1 乙の職務権限

2 被告人と乙課長の接触の端緒及び交渉経過

3 上尾市の新駅設置計画の具体化

4 買収契約成立までの被告人の行動

(罪となるべき事実)

三  丙に対する贈賄事件

(一) 丙の職務権限

(二) 三〇〇万円の贈賄事件

(犯行に至る経緯)

1 丙町長からの右翼対策依頼と被告人の行動

2 鶴ケ島町働く婦人の家新築工事をめぐる×××設計と被告人の行動

(罪となるべき事実)

(三) 四〇〇万円の贈賄事件

(犯行に至る経緯)

1 丙町長に対する×××設計の賄賂二〇〇万円の授受

2 間組からの二〇〇万円の授受

3 婦人の家工事の施工に伴う各種工事に関する業者選定の経緯

(罪となるべき事実)

四  上尾市に対する恐喝事件

(犯行に至る経緯)

1 被告人の上尾市に対する二〇〇〇万円の寄附

2 上尾市長更迭による新駅設置方針の転換

3 被告人の名誉回復要求と上尾市の対応

(罪となるべき事実)

第二  証拠の標目<省略>

第三  事実認定の補足説明

一  乙事件について

二  丙事件について

(一) 総説

(二) 三〇〇万円の贈賄事件について

(三) 四〇〇万円の贈賄事件について

三  恐喝事件について

1 公訴事実

2 争点の所在と当裁判所の結論

3 本件の証拠構造及び審理の経過

4 本件捜査経過の特異性等

5 自白調書の任意性について

(1) 「約束」に関する被告人の供述の要旨

(2) 対立する諏訪証言の評価・検討

(3) 自白調書の任意性

6 第一回交渉(一〇月二七日)の際の言動について

(1) 財物交付目的の有無

(2) 具体的言動について

(3) 結論

7 第二回交渉(一二月二六日)の際の言動について

(1) テーブルの足蹴りの有無について

(2) 恐喝の犯意及び実行行為の存否について

(3) 金二〇〇〇万円の被告人への返還の理由及び経過

(4) 結論

第四  法令の適用

第五  量刑の理由

一  総説

二  乙事件について注目すべき事情

三  丙事件について注目すべき事情

四  恐喝事件について注目すべき事情

五  総合評価・検討

第六  一部無罪の理由

一  公訴事実の要旨

二  無罪の理由

【理由本文】

第一  事実

一  被告人の身上・経歴

被告人は、昭和四五年ころ、肩書住居地において、冷暖房空気調整設備工事等を業とする○○工業株式会社(以下「○○工業」という。)を設立し、その後、○○興産株式会社(不動産業。以下、「○○興産」という。)、株式会社△△企画(建築・不動産総合企画)、有限会社○○○企画(ホテル経営等)及び有限会社××商事(同上)などを設立して、各社の代表取締役となったが、同六二年一二月二八日、これらの右各代表取締役を辞任し、現在は会長として各社を事実上統括している者である。

二  乙に対する贈賄事件(以下、「乙事件」という。)

(犯行に至る経緯)

1 乙の職務権限

分離前の相被告人乙は、昭和六〇年五月一日から同六二年四月一五日までの間、上尾市都市経済部都市計画課長として、上司であるU都市経済部長(以下、「U部長」という。)の命を受けつつ、所属職員を指揮監督し、同市が行う都市計画事業に関し、事業計画を策定し、また、公有地の拡大の推進に関する法律により設立された上尾市土地開発公社(以下、「公社」という。)と同市との間で締結された公共用地の取得業務委託に関する基本協定に基づき、同公社に事業用地及びその代替用地の先行取得を委託するに当たり、土地所有者らとの売買交渉等を行うなどの職務に従事していた(以下、乙を「乙課長」という。)。

2 被告人と乙課長の接触の端緒及び交渉経過

他方、被告人は、知人(加藤義八)から外国人留学生の宿舎の建築用地を取得して欲しい旨頼まれ、昭和五九年一二月ころ、埼玉県上尾市中妻一丁目二番二の土地を購入していたところ、同地は当時上尾市が推進していた新駅(現在のJR高崎線北上尾駅)の建設を予定していた箇所であったことから、乙課長は、そこに建物が建つことを危惧したU部長の命を受けて、被告人との間で交渉を重ね、昭和六〇年一一月三〇日、同人と公社との間の売買契約の成立にこぎつけた。右交渉の過程で、上尾市に新駅建設の計画があることを知った被告人は、上尾市が直接に土地所有者と交渉すれば地価をつり上げられたりしてその取得が困難になると思われたこともあって、自己が先行取得することにより土地の価格を低く抑え、上尾市側の事業の遂行に協力するとともに、その後右土地を同市に売却することによって、確実に利益を上げられると考え、買収予定の土地の所有者に対し代替地として提供するための土地について、その所有者と取得交渉を開始した。

そこで、被告人は、昭和六〇年一二月ころ、乙課長に対し、上尾市浅間台一丁目一八番六外一筆の土地を買い上げてもらえないかと打診した上、翌六一年一月二二日ころ、乙課長外一名を埼玉県浦和市<番地略>所在料理店「割烹しのぶ」に接待し、その際、同人に対し同土地の買い上げを依頼するとともに、同市浅間台二丁目二一番四や同市中妻五丁目四番六号の各土地などを上尾市が買い上げてくれるなら、地上げ交渉をするので、U部長の意向を聞いて欲しい旨依頼した。その後、被告人は、乙課長から「高くなければ買ってもいい。」などとする同部長の前向きの意向を聞いたため、二月二六日ころ、前記「割烹しのぶ」に乙課長を接待し、右各土地を買い上げてもらいたい旨依頼して、現金一〇万円を交付した。

3 上尾市の新駅設置計画の具体化

ところで、当時の友光恒上尾市長は、同年三月ころ、上尾市議会で新駅を建設する旨の発表をし、これを承けて四月一〇日、上尾市都市経済部内に新駅設置に関する部署として駅周辺整備対策室(以下、「対策室」という。)を設置し、更に、いわゆる請願駅として右新駅の早期開設にこぎつけようとしたことから、五月三一日、国鉄北上尾駅(仮称)建設促進期成同盟会(会長は、友光市長。以下、「期成同盟会」という。)を発足させた。しかし、対策室の職務は多忙を極めたため、用地の先行取得交渉は、八月下旬ころまで乙課長所管の都市計画課が引き続きこれを行うこととなった。

4 買収契約成立までの被告人の行動

被告人は、同年六月五日ころ、乙課長を前記「割烹しのぶ」に接待し、同課長に対し、既に先行取得していた土地と今後取得予定である土地を、代替地として早期に、かつ、高価に上尾市に買い上げてもらいたい旨依頼した結果、その手続を進めるとの約束を得たので、その際、「車代だ。」と言って、現金一〇万円を同課長に対し交付した。その後、八月中旬ころから、対策室が用地買収交渉にあたるようになり、九月ころから、対策室のH(以下「H」という。)、T(以下、「T」という。)らが被告人との間で交渉を重ねることになったので、被告人は、対策室室長であるG(以下、「G室長」という。)と顔合わせをしておきたいと考え、同月二二日ころ、乙課長とG室長の両名を前記「割烹しのぶ」に接待し、両名に対し、各現金一〇万円を交付したが、間もなく、G室長からはこれを送り返された。その後、被告人はHらとの間で買収交渉を進めた結果、予定した全ての土地を上尾市に買い取らせることに成功し(なお、公有地の拡大の推進に関する法律による税金控除の特例措置を得るため、契約自体は、同年一二月一八日及び翌六二年一月二七日の二回に分けて締結された。)、右一連の土地の取引により、四億円を超える莫大な利益を挙げるに至った。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和六二年一月初旬ころ、○○工業取締役管理部長中村有外二名と台湾旅行の計画をたて、その準備を終えていたが、うち一名の都合が悪くなったため、急遽、人柄もよくゴルフの嗜みもある者を探し、同月中旬ころ、埼玉県上尾市<番地略>所在上尾市役所都市経済部都市計画課に電話をかけ、前記のような職務権限を有する都市計画課長乙に対し、前記代替地の取得に当たり便宜な取り計らいを受けたことに対する謝礼の趣旨をも含め、被告人において費用を負担する台湾旅行に勧誘して承諾させた上、同年二月八日から同月一一日までの間、往復航空運賃等の費用一三万五〇〇〇円相当の台湾旅行をさせるとともに、同月八日午前一〇時ころ、東京国際空港から台湾中正機場へ向かいわが国の領空を飛行中の中華航空〇〇一九便飛行機内において、前同趣旨のもとに現金一〇万円を提供して受領させ、もって、右乙の職務に関し賄賂を供与した。

三  丙に対する贈賄事件(以下、「丙事件」という。)

(一) 丙の職務権限

分離前の相被告人丙は、昭和五八年四月の選挙により埼玉県入間郡鶴ケ島町(現在の鶴ケ島市。以下、「鶴ケ島町」という。)の町長に当選し、本件当時、引き続きその職にあった者である。同人は、鶴ケ島町長として、部下職員を指揮監督し、同町が発注する建築工事等につき、その設計・監理業者の選定及び建築業者等の指名選定に関する事務を管理執行していた(以下、丙を「丙町長」という。)。

(二) 三〇〇万円の贈賄事件

(犯行に至る経緯)

1 丙町長からの右翼対策依頼と被告人の行動

昭和六一年一月ころ、被告人は、丙町長から、かねて右翼団体関東塾から街宣活動や機関誌により町政を誹謗・中傷されて困惑しているとして、その鎮静化の対策を依頼され、そのための費用として、二回に分けて現金合計五〇〇万円を受領した。

そこで、被告人は、○○設備の社員で右翼団体の構成員でもあるD(以下、「D」という。)に対し、右五〇〇万円を渡して対策を依頼するなどしたが、関東塾の攻撃は収まらなかったため、立腹した丙町長から、遂には右五〇〇万円の返還を迫られる羽目となり、同町長と交渉の末、「更に右翼対策のため必要となる現金五〇〇万円を被告人が立替払いをし、その分は、今後鶴ケ島町が発注する公共工事を○○工業に請け負わせてその利益で返済する」(すなわち、「五〇〇万円は仕事で返す」)との合意を成立させた。そして、被告人は、その後、当時鶴ケ島町が建設を予定していた「(仮称)鶴ケ島町富士見地区学習等供用施設」(以下、「学習等供用施設」という。)の新築工事の機械設備工事を○○工業で落札しようと考え、前記合意に基づき、まず、丙町長に対し、○○工業を指名業者に加えて欲しい旨申し出て、同町長にその旨決定させ、更に同人から入札予定価額を聞き出した末、八月二八日の入札においては、右工事を○○工業において落札した。

ところが、一旦収まったかにみえた丙町長に対する右翼の攻撃は、一〇月ころになって再開され、同町長から「本当に対策をしているのか。」などと再三にわたり激しく詰問された被告人は、同町長から受け取っていた右翼対策費五〇〇万円のうち二〇〇万円を、Dが○○設備の資金繰りに流用していたことが後刻判明し、うしろめたい気持ちを持っていた折りでもあったので、この際、前記右翼対策費を少しずつでも返還し、町長の気持ちを静めようと考え、一一月一二日及び一二月四日の二回にわたり、丙町長に対し各金一〇〇万円を返還した。

2 鶴ケ島町働く婦人の家新築工事をめぐる×××設計と被告人の行動

ところで、昭和六一年後半になると、鶴ケ島町では、「(仮称)鶴ケ島町働く婦人の家新築工事」(以下、「婦人の家工事」という。)の計画が具体化し、同年一二月二二日には、その設計業務を委託する前提として、設計の指名業者選定委員会が開催された結果、いわゆる設計コンペに設計図を提出し得る業者として八社が指名されたが、その中には、被告人が、以前、間接的ながら仕事の上で関係を持った株式会社×××設計(以下「×××設計」という。)が含まれていた。

そして、被告人は、翌昭和六二年一月になって(正確には一月一二日)、×××設計の社長N(以下、「N社長」という。)から「婦人の家工事の設計コンペに指名されたいので力になって欲しい。」「お礼はテンパーセントできます。」などと依頼されるや、設計コンペで、右×××設計の作品を丙町長に指名させて同社に恩を売っておけば、同社が任される筈の監理業務の遂行上同社の便宜を図らせて利益を挙げ得ることに着目し、同町長に対し、×××設計の前記意向を伝えて同社の指名を依頼するとともに、かねて一部を返還済みであった前記右翼対策費の残額(三〇〇万円)を、この際一挙に返還して同町長の歓心を買い、設計コンペでの×××設計の作品の採用をいっそう確実なものにしようと考えた。そのため、被告人は、同月一四日、丙町長に対し電話で×××設計の右意向を伝えた上、同月二三日、両名を○○工業の事務所に呼び出して引き合わせ、N社長が持参した設計コンペへの出品予定景観図(パース)を同町長に見せ、×××設計が受注できるよう依頼するとともに、N社長が帰ったあとで、同町長に対し、社長が、二〇〇万円の謝礼を町長に提供する旨約束していることを伝え、更に、同町長を自宅応接間に招き入れた。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和六二年一月二三日、前記のとおり、○○工業の事務所で、丙町長とN社長とを引き合わせ、×××設計のパースを同町長に見せたりした直後、右○○工業の事務所に隣接する埼玉県朝霞市<番地略>自宅応接間において、前記のような職務権限を有する鶴ケ島町長丙に対し、同町が発注を予定している「働く婦人の家新築工事」の設計業者の選定及び今後同工事の建築業者の指名選定等につき便宜な取り計らいを受けたいとの趣旨を含め、かねて一部を返還済みであった右翼対策費の残金相当額三〇〇万円を提供して受領させ、もって、右丙の職務に関し賄賂を供与した。

(三) 四〇〇万円の贈賄事件

(犯行に至る経緯)

1 丙町長に対する×××設計の賄賂二〇〇万円の授受

丙町長は、昭和六二年一月二七日に行われた設計コンペにおいて、他の委員が選外とした×××設計の作品をあえて採用し、その結果、二月五日、鶴ケ島町と×××設計との間で、婦人の家工事に関する設計業務委託契約が締結された。そして、被告人は、同月一七日、○○工業の事務所で、N社長から、丙町長へ渡すべき賄賂として金二〇〇万円を受け取り、同月二〇日、自宅応接間において、同町長に対し、右金員を「×××設計のNからだよ。」などと言いながら提供し、同町長は、これを受領した。

2 間組からの二〇〇万円の授受

他方、被告人は、同月一三日ころ、丙町長から、前年八月、学習等供用施設の建築工事を請け負わせた間組が約束の二〇〇万円を持って来ないとして調査方を依頼されたため、間組との間に入った青木建設の担当者(島貫某)と折衝の末、間組に対する○○工業の債務約二五〇万円を免除してもらうのと引換えに、被告人において、間組が丙町長に約束した二〇〇万円を立て替えて支払うこととし、三月四日、埼玉県川越市内の料亭「山屋」で、同町長に対して金二〇〇万円を提供し、同町長にこれを受領させた。

3 婦人の家工事の施工に伴う各種工事に関する業者選定の経緯

(1) 他方、被告人は、婦人の家工事の施工に伴う各種工事に関し、特定の業者を落札予定業者(いわゆる「チャンピオン」)として談合し得るような顔触れの業者を選別し、これを鶴ケ島町指名業者選定委員会の諮問を経て丙町長に決定させ、自らは、かくして工事を落札した右業者からリベートを取得しようと考え、同年二月二四日ころから、知り合いの大日本土木株式会社(以下、「大日本土木」という。)及び三位電気株式会社(以下、「三位電気」という。)の各担当者とリベートの交渉を始めた。そして、被告人は、間もなく、大日本土木との間では、「建築工事代金の1.5パーセント」、三位電気との間では、「電気工事代金の一二パーセント」の各リベートを支払う旨の約束を成立させた。

(2) そして、被告人は、前記2の「山屋」での会合において、丙町長に対し、まず婦人の家工事を○○工業にやらせて欲しい旨持ちかけて断られたが、右工事に関連して既に被告人から直接間接の多額の利益を受けている同町長は、結局、建築工事と電気工事に関し、指名業者選定委員会にかける業者の選別(事実上の選定)を被告人に一任した(ただし、機械設備工事については、町長自ら期するところがあるとして、一任しなかった。)。

(3) その後、被告人は、大日本土木及び三位電気の各担当者をN社長に引き合わせるなどして準備を進めていたが、四月一四日ころに至り、丙町長から、五パーセントのリベートの提供を条件に、機械設備業者の選別をも任されるに至ったため、直にN社長に連絡して、右リベートを出せる機械設備業者を探すよう依頼し、併せて指名業者選定委員会にかける他の業者の選別も同人に任せた。

(4) N社長は、知り合いの○○○総合設備株式会社(以下、「○○○総合」という。)の熊井戸基光社長(以下「熊井戸社長」という。)に婦人の家工事の機械設備工事の話をして、その落札の意思があることを確かめた上、同社を含めた業者の一覧表(メンバー表)を作成し、四月二八日ころ、○○工業の事務所ヘファックスで送信してきた。そこで、被告人が、遅くとも五月二二日までに、右メンバー表に一部修正を加えたもの、及び建築工事と電気工事の関係で別途作成した業者のメンバー表を丙町長に渡したところ、同町長は、右各メンバー表を、指名業者選定委員会委員である鶴ケ島町役場企画財政課長蓮見美三雄を通じ同委員会に上程して、ほぼ右表のとおりの了承を得た上、最終的な決裁を下し決定した。

(5) 七月三日の入札当日までに、建築工事及び電気工事の関係業者の間では、N社長の推す大日本土木及び三位電気を各落札予定業者とする旨の談合が成立し、右両社の各担当者に対しN社長が設計価格を、また、丙町長から聞き出した歩切り率を被告人自身が、それぞれ教えるなどした結果、予定どおり、右両社が各工事を落札した。

(6) ところが、機械設備工事の関係では、前記メンバー表に入っていた暁建設株式会社(以下、「暁建設」という。)が、自力で落札すると主張して談合に応じなかったため、結局、最終的には、同社と○○○総合が相打ちの形でともに降りることとなり、第三の業者である栄設備工業株式会社(以下、「栄設備」という。)が右工事を落札した。しかし、同社と○○○総合とは、その裏で更に談合を遂げ、右工事については、名義上はともかく、実質上は、○○○総合が現実にこれを行うことになった。

(7) 以上の経過を経て、被告人は、大日本土木から工事価額の1.5パーセントにあたる四六五万円を、また、三位電気から同じく一二パーセントにあたる七九二万円を各入手し(ただし、三位電気からの分は、これを二分し、七月ころ二六四万円、一二月ころ五二八万円が順次支払われた。)、また、○○○総合からは、七月二一日、N社長を通じて、工事価額の五パーセントにあたる四三九万円を入手したが、被告人は、そのうち三〇万円をご苦労賃として同社長に返戻した。

(罪となるべき事実)

被告人は、右のとおり、婦人の家工事の施工に伴う各種工事の入落札の機会に、丙町長から、建築業者等の指名選定等につき便宜な取り計らいを受けたところから、同町長に対しかねて求められていた謝礼(リベート)を贈ろうと考え、昭和六二年七月二一日ころ、埼玉県浦和市<番地略>料理店「割烹しのぶ」において、前記のような職務権限を有する同町長に対し、右建築業者等の指名選定等につき便宜な取り計らいを受けたことに対する謝礼の趣旨のもとに、現金四〇〇万円を提供してこれを受領させ、もって、同町長の職務に関し賄賂を供与した。

四  上尾市に対する恐喝事件(以下、「恐喝事件」という。)

(犯行に至る経緯)

1 被告人の上尾市に対する二〇〇〇万円の寄付

被告人は、前記二「犯行に至る経緯」4記載のとおり、対策室のHらと北上尾駅設置に関する用地買収交渉を重ねていた昭和六一年九月ころ、U部長の意を受けたHから、既成同盟会に寄附をして欲しい旨の申し入れを受けるや、同年一二月一〇日ころ、これを承諾し、翌六二年二月四日、既成同盟会宛に二〇〇〇万円を振込送金して寄附をした。その後、北上尾駅建設が日本国有鉄道(以下、「国鉄」という。)に承認され、その起工式に被告人も招待されるなどして被告人と上尾市との関係は円滑に推移するかのようにみえた。

2 上尾市長更迭による新駅設置方針の転換

翌六三年二月七日に施行された上尾市長選挙で、従前の友光恒市長に代わり新市長として荒井松司が当選し(以下、同入を「荒井市長」という。)、これに伴って執行部も小池甫助役(以下、「小池助役」という。)以下の新体制に移行した。荒井市長を頂点とする新体制は、右市長選挙の時点から、北上尾駅設置に関し、新駅建設反対派から、駅建設用地買収に関する上尾市と被告人との間の癒着が取り沙汰されていたことを考慮して、同年三月二三日、右疑惑等を調査する目的で、地方自治法九八条一項に基づき、上尾市議会内に、北上尾駅(仮称)建設問題調査特別委員会(以下、「調査特別委員会」という。)を設置した上、疑惑の解明に努力する姿勢を示しつつ(なお、同委員会は、同年一一月七日に解散し、その間、同年六月一〇日ないし二五日の上尾市定例市議会において、調査結果について報告がされたが、右報告においても、被告人に対する疑惑は、明確には指摘されなかった。)、他方では、問題が旧執行部と被告人との癒着に関するものであるため、むしろ、右寄附金相当額を被告人に返還し問題を一挙に清算してしまうことができないものかと考えていたが、そのための適切な手段が思い浮かばず、返還に踏み切れないでいた。

3 被告人の名誉回復要求と上尾市の対応

ところで、被告人は、右調査特別委員会で自分と上尾市との癒着の疑惑が問題にされていることを不快に思い、同年七月二二日、上尾市<番地略>上尾市役所市長室で、荒井市長に面会を求め、調査特別委員会で自分のことが出てこなかったら名誉回復措置を講じて欲しい旨の申し出をした結果、荒井市長からは、「名誉回復できるように何か考えましょう。」との返答を得たが、その後、市側から何らの反応がなかったので、同年九月三〇日、再度名誉回復を求めるべく小池助役と会い、その旨申し出たけれども、同人からは特に回答はなかった。右のような市側の曖昧な対応に焦慮した被告人は、同年一〇月六日、国鉄から分割民営化されたJR東日本鉄道株式会社(以下、「JR」という。)の理解を得て、同社からも被告人に対する名誉回復の件が解決しない限り駅建設を進行させないという申し入れを上尾市に対してしてもらおうと考え、妻甲2を伴って、JR高崎支社へ赴き、右申し入れをした。更に、被告人は、同月一二日にも荒井市長に電話で名誉回復を図ってもらいたい旨申し出たが、同市長の回答は、相変わらず、「出来ることならしたい。」などという煮え切らないものであった。そこで、被告人は、同月二七日、畑孝雄上尾市都市経済部長(以下、「畑部長」という。)とG室長が○○工業を訪れた際、同人らに対し、折角二〇〇〇万円も寄附したのに、調査特別委員会で調べられたり新聞で書かれたりし、また税金も余分に取られたなどとして、自己をそのような立場に追いやった上尾市のやり方に激しい憤懣をぶちまけるとともに、同人らに対し、二〇〇〇万円の返還要求などを内容とする荒井市長宛の要望書(その内容は別紙のとおり)を交付したが、このとき併せて、右要望書には二〇〇〇万円の返還の件が挙げてあるが、自分の真意は金ではなく、あくまで名誉回復を求める点にある旨説明した。そして右両名は、帰庁後直ちに小池助役に対し、右要望書を渡して当日の経過を概括的に報告し、その際、被告人の真意は名誉回復を求めることにあることを伝え、また、小池助役は、翌二八日、荒井市長に対し同様の報告をしたが、同市長からは、特段何らの指示はなく、そのため、被告人に対し、市側は当面何らの対応をしなかった。しかし、被告人は、同年一一月二二日、妻を伴って上尾市役所市長室を訪れた際、荒井市長から「いよいよ一二月一七日の開業予定日を迎えるに当たり、JRの方から名誉回復の件を解決するように言われているので、開業までには名誉回復を考える。だから高鉄(JR高崎支社の意)の方に解決したということを電話してほしい。最後の最後まで協力をお願いしたい。」との申し入れを受けるに及び、遂に、市側も開業日までには名誉回復を考えることを約束してくれたものと喜んで、これを快諾し、帰宅途中、JR高崎支社に対し、問題は解決した旨の電話をした。しかるに、その後開業日である一二月一七日を経過しても市側からは何らの音沙汰がなかったため、被告人は、約束した名誉回復について何らの措置を講じないばかりか、二〇〇〇万円の返還についても明確な返答をしない市側の誠意のない態度に立腹し、かくては、市側が北上尾駅の開業という既成事実を武器に右二〇〇〇万円返還の件すらうやむやにしてしまおうとしているのではないかと考えて、怒り心頭に発し、この上は、市役所に乗り込んで二〇〇〇万円だけでも取り返そうと決意し、一二月二六日午前九時ころ、上尾市役所に向かった。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和六三年一二月二六日午前九時ころ、埼玉県上尾市<番地略>所在上尾市役所秘書室において、同市助役小池甫(当時六六歳)に対し、「二〇〇〇万円を返せ。年末だから取りにきたんだ。俺は市に寄付したんだ。要望書を見ただろう。収入役に連絡して小切手を出させればいいことだ。返さないと、市が全面的に悪いということを公表してやる、スピーカーがあるじゃないか、マイクを持ってこい。市がどうなってもいいのか。黙っていねえで金をいつ返すのかこの場ではっきりしろ。返さないと何があっても知らんぞ。俺にも覚悟がある。」などと怒号し、上尾市役所の正常な業務の遂行及び名誉・信用等にいかなる危害を加えるかもしれない気勢を示して、同人及びその翌日同人から報告を受けた上尾市長荒井松司(当時七六歳)を脅迫し、もって同市から金二〇〇〇万円を喝取しようとしたが、同市長を畏怖させるに至らず、単に、同市長をして、この際、これを契機に被告人の求める金二〇〇〇万円を返還することによって、旧執行部との癒着の噂のある被告人との関係を一挙に断ち切り将来の禍根を断つにしくはないと決意させ、後刻、前記期成同盟会を経由して、金二〇〇〇万円を○○工業の銀行口座に振込送金させるに止まったため、金員喝取の目的を遂げなかった。

第二  証拠の標目<省略>

第三  事実認定の補足説明

一  乙事件について

1 被告人は、本件については、他の訴因と異なり、捜査公判の全過程を通じ、当初から一貫して事実を全面的に認めていたが、公判開始後二年二か月以上を経過した第三九回公判において突如従前の認否を変更し、「右は、かねて計画していた台湾旅行にたまたま一名の欠員が生じたことから、つきあいのよい乙課長を誘ったものにすぎず、代替用地取得にあたり便宜な取り計らいを受けたことに対する謝礼の趣旨を含むものではなかった。自分は、もともと、上尾市との土地取引に関しては、自分の方が市に協力をしたという気持ちを有していたもので、同人をはじめとする上尾市側の人間に世話になったという気持ちはなかった。」旨、その賄賂性を否認する供述をし、弁護人も右被告人の供述を前提に、本件台湾旅行への招待及び金一〇万円の供与は賄賂ではない旨主張している。

2 しかし、関係証拠によれば、本件の事実経過は、判示第一・二「犯行に至る経緯」記載のとおりであって、これによれば、被告人は、北上尾駅新設に伴う代替用地の買収等上尾市との一連の土地取引により、実に四億円を超える莫大な利益を挙げていたことが明らかであり、被告人が、右取引によりかかる巨利を博することができたについては、乙課長からもたらされた情報や、被告人の意向を随時適切に上司に伝達して説得してくれた同課長の活動が与って大いに力のあったことは、明らかであると認められる。もちろん、それにしても、被告人が、右取引をこれ程の成功に終わらせることができたのは、新駅開設の動きを知るや素早くこれに対応して機を掴んだその手腕・才覚に負うところが大きいと認められ、また、当時、新駅開設の構想を抱きながらも、用地買収問題に適切な手を打てずにいた上尾市が、被告人の活動により用地問題を一挙に解決することができたことも事実であるが、それであるからといって、自分は新駅開設に貢献こそすれ同課長に世話になったことはないという被告人の言い分(及びこれを前提とする弁護人の主張)は、右取引により、被告人自身も前記のような莫大な利益を挙げたことを棚に上げた一方的な議論というほかない。そして、被告人は、乙課長の前記のような利用価値に注目したからこそ、代替用地の取得等につき判示第一・二1記載のような職務権限を有する乙課長に対し、再三にわたり、「割烹しのぶ」で酒食をもてなしその都度金一〇万円(合計三〇万円)の賄賂を送って便宜な取り計らいを依頼してきたと認められるのであって(なお、弁護人は、被告人の右金員供与も、通常の付き合いの範囲内のものである旨強弁するが、そのような議論が、社会の健全な常識からみて到底成り立ち得ないものであることは、弁護人自身も理解していない筈はない。もっとも、右三回の現金供与については、いずれも公訴時効が完成しているため、公訴提起はされていない。)、右一連の取引をめぐる被告人の行動等に照らせば、本件台湾旅行への招待及びその際の金一〇万円の供与は、判示のような趣旨を含む賄賂と認めるほかないものである。なお、弁護人は、他にも、①右台湾旅行当時、乙課長には、既に用地買収の職務権限がなく、被告人には、頼むべき何事もなかったこと、②右旅行は、偶然の機会から急遽ピンチヒッターとして同課長を誘うことになったものであることなどの点を、賄賂性否定の理由として指摘するが、右①の点は、右旅行への招待等を、判示のような趣旨の賄賂と認める上で、何ら妨げになる事情ではないし、②のような事情の存在も、右旅行等の賄賂性と抵触するものではないというべきである(乙課長を招待する契機が右②のようなものであったとしても、被告人の側に、この際、旅行に招待することによって、同課長の労に酬いたいという気持ちを生じたとしても不思議ではないし、むしろ、そのような気持ちを抱くのは、人間の心理として自然であろう。また、いかに「欠員を生じたためのピンチヒッター」という性格を強調したところで、これにより、業者と仕事上密接な関係のあった官庁の担当課長を、往復の飛行機代や宿泊費のみならず、現地で売春婦を買う費用をも業者が負担する、文字通り業者丸抱えの外国旅行に同行させることは、社会一般の常識上到底正当化され得ないところというべきである。)。

二  丙事件について

(一) 総説

当裁判所は、被告人と同時に起訴された分離前の相被告人丙に対する収賄被告事件につき、第三〇回公判(平成三年三月五日)において有罪判決を言い渡しており、右判決(以下、「丙判決」という。)の中では、本件各訴因事実の存否についても、かなり詳細な判断を示している。しかしながら、第三一回公判においても明確に指摘しておいたとおり、右判決における判断は、あくまで、同被告人の関係で取り調べた証拠を、同被告人の言い分を中心として検討した結果に基づくものである。従って、証拠関係を異にする本件において、取り調べた証拠を、被告人の言い分を中心に検討した場合の事実認定が、必ずしも丙判決における事実認定と同一にならないのは当然のことであって、当裁判所は、右判決の認定に捉われることなく、白紙の状態に立ち返り、被告人の関係で取り調べた証拠の証拠価値を、被告人の言い分を前提として慎重に検討する旨、当事者双方の注意を喚起しておいたところである。そして、当裁判所が、最終的に到達した丙事件に関する事実認定は、判示のとおり、判示第一・三(二)(三)の各事実に関しては、丙判決のそれと結論(有罪)においては一致したものの、細部(すなわち、右(二)の事実に関する賄賂の性質及び同(三)記載の賄賂金額)においては、それとは異なるものとなり、また、右判決において有罪と認めた平成元年一〇月七日付け起訴状記載の公訴事実第二・二(金二〇〇万円の贈賄)については、結論そのものを異にするに至っている。

このように、現実に社会に生起した一個の贈収賄の事実に関し、贈賄者に対する裁判所の事実認定が、同一の裁判所が前に収賄者に対してした判決(それも、確定判決)の事実認定と食い違うことは、素朴な常識からすると一見奇異な結果のようにも感ぜられるが、これは現行法の定める証拠法則のもとにおいて、各被告人の防禦権を十分に保障するために分離公判を行った場合には避けることのできないことであって、無辜の不処罰を最大の眼目とする現行刑事訴訟手続のもとでは、やむを得ないものとして受け容れざるを得ないものというべきである。以下、丙事件中、当裁判所が有罪と認めた二個の訴因事実に関する心証形成の経過を説明することとする(無罪と認めた二〇〇万円の贈賄については、のちに新たに章を起こして検討の結果を示す<後記第六>。)。

(二) 三〇〇万円の贈賄事件(判示第一・三(二)の事実)について

1 右事実につき、被告人は、判示日時・場所において丙町長に渡した金三〇〇万円は、同町長から預かった右翼対策費の返還金の一部であって賄賂ではない旨供述し、弁護人も、被告人の右供述を前提として、同旨の主張をしている。

2 しかし、関係証拠によって認定し得る右三〇〇万円提供の経緯は、判示認定のとおりであるところ、これによれば、被告人による右金員の提供が、判示認定のような便宜な取り計らいを受けたいとの趣旨を含むものであることは明らかであるというべきであって、被告人が、同町長から右翼対策費五〇〇万円を受け取りながら、十分な効果を挙げ得ず、同町長から激しく難詰されていたこと、被告人が、同町長の気持ちを静めるため、昭和六一年一一月及び一二月に、各金一〇〇万円を現に返還しており、残金三〇〇万円も、いずれ返還するつもりであったことなどは、本件三〇〇万円の賄賂性の認定と矛盾しないと考えられる。

3 すなわち、判示認定のとおり、被告人は、昭和六二年一月になって、婦人の家工事の設計コンペに設計図を提出し得ることとなった×××設計のN社長から、同社の作品が右コンペで指名されるよう助力を依頼されるや、その直後に、丙町長に対し×××設計を指名されたい旨頼み込み、○○工業の事務所で両名を引き合わせただけでなく、×××設計のパースを丙町長に見せるなどし、その直後に、同町長を自宅応接間に招き、同室内において、金三〇〇万円を提供したものである。そして、関係証拠によると、丙町長自身も、これを自宅書斎の本棚の間に隠匿するなど、うしろ暗い金として取り扱っていたこと、また、判示第一・三(三)「犯行に至る経緯」1のとおり、同町長が、その後、現実に被告人の依頼の趣旨に副う行動をとっていることなども明らかなところである。右のような客観的事実関係に照らすと、被告人が丙町長に提供した金三〇〇万円が、判示のような趣旨を含む賄賂であったことは、到底これを否定することができないというべきである。

4 これに対し、弁護人は、(1)被告人としては、丙町長に対し、×××設計から二〇〇万円の賄賂が行く旨伝えてあるから、それ以上の賄賂を同町長に贈る必要性がなかった(逆に、右二〇〇万円に加えて本件三〇〇万円も賄賂であるとすると、賄賂の金額が多くなりすぎる)、(2)被告人は、×××設計から依頼を受ける以前に、既に右翼対策費を返還するつもりになって、一部を返還済みであったのであり、残金三〇〇万円も、一月一四日に、丙町長に対し、「二月六日に返還する」旨約束していたが、一月二三日に急遽同町長が○○工業に来ることになったため、返還の機会が早まったにすぎないなどと主張している。

5 しかし、まず、右(1)の点については、本件婦人の家工事のような大がかりな公共工事が行われる過程においては、設計に関してだけでなく、その後の建築工事及びその他の附帯工事などに関し、莫大な金が動くことは常識であり、また、設計を委託された者は、その後の監理業務をも委託されるのが通常であるから、被告人の推す×××設計が設計業務を委託されることになれば、被告人自身も、右×××設計と結託することにより、高額の利益を挙げ得る筋合いであって(現に、被告人は、本件において、判示第一・三(三)「犯行に至る経緯」3(7)記載のとおり、大日本土木及び三位電気からだけでも、一三〇〇万円近いリベートを取得している。)、この程度のことを、辣腕の被告人が理解していなかった筈はないと考えられる(弁護人は、被告人が右のような利益を得ようと考えていたとする想定は、「現実性のない、しかも証拠に基づかない推論」にすぎない旨主張するが、そのような主張は、直接の供述証拠の存否に捉われすぎ、客観的事実の推移と社会の常識を無視した形式論であるとの非難を免れないというべきである。)。従って、丙町長に×××設計の作品を強く推した時点において、被告人が、×××設計からの二〇〇万円を丙町長に取り次ぐだけでなく、自らも、なにがしかの利益を同町長に提供して、設計コンペでの×××設計の作品の採用を確実なものにしたいという気持ちを抱くことは、自然の成り行きと考えられるのであり、被告人に、×××設計からの二〇〇万円以外に賄賂を贈る必要がなかったとの主張には、到底賛同することができない。

6 次に、前記(2)の主張について考えるのに、確かに、被告人が、丙町長から受け取った右翼対策費を返還しようという気持ちになり、既に、うち二〇〇万円を返還済みであったことは、判示認定のとおりであり、一月一四日の時点では、丙町長に対し、残りの三〇〇万円も二月六日には返還する旨の約束をしていたこと、及び被告人が、二月六日になっても、右約束にかかる三〇〇万円を改めて返還しなかったことなども、証拠上明らかなところである。従って、一月二三日に被告人が丙町長に対して提供した本件三〇〇万円の金員が、右翼対策費の返還金としての性格をも有するものであったことは、これを否定することができない。しかし、そもそも右翼対策のための費用などというものは、交付する側が相手方の手腕を信じて渡すものであるから、交付したのちにおいて、本来期待した効果が挙がらなかったからといって、法律上当然に返還を請求し得るものではない。しかも、本件において、被告人は、丙町長から受け取った金員では効果が挙がらなかったことから、自ら五〇〇万円の自腹を切ってDに対し更に右翼対策を依頼し、その甲斐あって、昭和六一年夏から秋にかけては、ともかくもある程度右翼活動を鎮静化することに成功していたのである。もっとも、被告人は、丙町長から受け取った金員の一部を、Dが○○興産の経費に流用したことを後刻知ってうしろめたい気持ちになり、また、自己の依頼した右翼対策が思った程の効果を挙げ得なかったところから、激しく難詰する同町長の気持ちを静めるため、いっそのこと右翼対策費を返還してしまおうと考えるに至った旨供述するところ、右供述の信用性を否定する事情は見当たらないから、少なくとも、被告人が、同年一一月と一二月に同町長に渡した計二〇〇万円は、判示のとおり、右翼対策費の一部の返還金であったと認めるべきである。しかしながら、被告人が、その後の残金を、いつどのような形で丙町長に返還しようと考えていたのかは、証拠上必ずしも明らかではないのであって(被告人は、一二月二七日ころ、「割烹しのぶ」で丙町長と会った際、同町長が右翼の攻撃に立腹した発言をしていたので、チビチビ返すよりこの際まとめて返そうと考え、折角持参した一〇〇万円を渡さずに、「年があけたら残りの三〇〇万円はまとめてお返しします。」と約束しておいた旨供述するが――記録九四五丁――、右のような状況であったとすれば、むしろ、折良く持参していた一〇〇万円をその場で提供した上で、残額についても早急に返還の確約をする方が常識に合致した行動であると思われるし、また、被告人が、年が明けても直ちには残金三〇〇万円の返還の行動を起こしておらず、×××設計から前記依頼を受けた直後である一月一四日の時点になってようやく、「二月六日の返還」を約した点も、被告人の前記供述に必ずしもそぐわないものというべきである。)、一二月二七日の会合の際、婦人の家工事の設計コンペの話が丙町長の口から出ていること(記録九五二丁)、被告人が三〇〇万円の返還を確約した一月一四日の時点において、被告人は、既に、×××設計から相当額の謝礼の約束を得ており、丙町長に対しても、これを明示して、×××設計の作品の採用方を強力に働きかけていること、被告人は、一月二三日、丙町長に×××設計のパースを見せたあと、急遽予定を変更して、二月六日に返還する約束であった右翼対策費未返還額に相応する金員を、同町長に提供したものであることなどを併せ総合して考察すると、被告人は、右翼対策費の未返還額三〇〇万円については、その返還の時期・方法等の明確な予定を持っていなかったところ、一二月二七日の会合で婦人の家工事の設計コンペが近く行われることを知って、これを有効に利用すべく、×××設計の作品の採用方を丙町長に働きかける際に、ことさら右返還を確約し、現実にも前記のような方法でこれを提供したものと認められ、従って、右金員の提供が、判示のような便宜な取り計らいを受けたいとの趣旨を含むものであったことは、明らかであるというべきである。

7 以上の理由により、この点に関する弁護人の主張は、これを採用しない。

(三) 四〇〇万円の贈賄事件(判示第一・三(三)の事実)について

1 被告人は、判示第一・三(三)「罪となるべき事実」記載の日時・場所において丙町長に渡した金四〇〇万円は、○○○総合の熊井戸社長から丙町長に渡されるべき賄賂を、被告人が単に取り次いだにすぎない旨供述し、弁護人も、被告人の右供述を前提として、同旨の主張をしている。

2 ところで、証拠によって認め得る右四〇〇万円の供与に至る主要な経過は、判示「犯行に至る経緯」認定のとおりである。そして、これによれば、判示日時・場所において、被告人が丙町長に提供した金四〇〇万円の出所が、実質的には○○○総合の熊井戸社長であること、丙町長は、当初、建築工事及び電気工事に関する指名業者の事実上の選定は、これを被告人に一任し、他方、機械設備工事に関しては、自ら直接業者からリベートを得ようと考えて活動したものの、工作が成功しなかったため、結局、右工事に関しても、「業者からの五パーセントのリベートの提供」を条件に、業者の事実上の選定を被告人に一任したことなどの事実が認められる。そして、これらによると、被告人の同町長に対する金四〇〇万円の提供は、同町長との右約束に従って行われたものということになるのであり、そうなると、右金四〇〇万円は、熊井戸社長の丙町長に対する賄賂であって、被告人の賄賂ではないとの弁護人の主張にも一理ありそうに考えられないではない。

3 しかし、証拠によると、他方、(1)被告人は、N社長が持参した熊井戸社長からの金四三九万円を、そのまま丙町長に渡したのではなく、そのうち三〇万円をN社長にご苦労賃として渡し、更に九万円を自己の懐へ入れ(なお、差額の九万円については、被告人は明確には供述していないが、残額を自己の金と混同させていることからみて、かように認定せざるを得ない。)、しかも、残りの四〇〇万円を、大日本土木や三位電気からのリベートと一緒に保管して混同させたのち、そのうちの七〇〇万円を「割烹しのぶ」に持参して、その中から四〇〇万円を取り出して丙町長に渡したこと、(2)熊井戸社長は、N社長に対し、被告人の領収書を持ち帰ることを要求し、被告人も、同社長に対し右領収書を交付していることなど、被告人の行動を、単なる賄賂の取次ぎと認めるには、いささか障害となる事実関係の存することも、明らかなところである。

4 そこで、更に検討してみると、そもそも右機械設備工事の落札予定業者の決定については、前記設計コンペにおける作品の採用決定の場合と異なり、丙町長は、最終的な決定権を有していなかったことが注目されなければならない。すなわち、設計コンペにおける作品の選別について最終的な決定権を持つのは、あくまで町長であって、町長の最終的な決定がありさえすれば、右作品を出品した業者との間で当然に設計業務委託契約が(更には、通常は、監理業務委託契約も)締結されることになるのであるから、設計業者としては、間に立つ被告人を通じてだけでなく、町長に対し直接自社の作品の採用を迫って利益を供与する実益が存するわけである。これに対し、本件機械設備工事の施工業者の決定は、指名業者選定委員会の諮問を経て丙町長の決定した複数の業者の間で、入札の方法により決定されるものである。従って、町長の権限は、入札する業者の範囲を決定する段階までに限られ、それ以降、最終的な落札業者の決定については、法律上の権限はもとより事実上の権限をも何ら有しない。そして、現実の問題として、本件において丙町長は、入札業者の事実上の選定をも被告人に一任してしまったのであり、右入札業者の事実上の選定にあたっては、被告人が、N社長を通じ、容易に談合可能な顔触れの業者を選定し、しかも、その中の特定の業者(落札予定業者)に対し、丙町長から聞き出した歩切り率を教えるなどの措置を講ずることが予定されていたのであるから、結局のところ、落札業者は、事実上、被告人がN社長を通じて行う工作(特定の業者とのリベート約束及びメンバー表の作成等)により決定されてしまうことになる。このような仕組みの入札においては、落札予定業者に選ばれた者は、自社を右予定業者に選んでくれた被告人に対し謝礼を出す実益こそ存するものの、このような措置を可能とした丙町長に対し高額の謝礼を提供する実益は、ほとんどないといってよい。現に、本件においても、建築工事及び電気工事の落札予定業者は、当然のように、被告人に対してだけ高額の謝礼を提供しているのであって、右業者らから、丙町長に対し謝礼を出すという問題は、全く生じていない。このようにみてくると、N社長を通じて金四〇〇万円を被告人に交付した熊井戸社長の意思は、これを直接丙町長に渡してもらいたいということではなく、むしろ、本件機械設備工事の事実上の落札を可能としてくれた被告人に対する謝礼の趣旨であったと認めるのが相当である。

5 もっとも、被告人が丙町長から、機械設備工事の工事代金の五パーセントに相当するリベートの提供を求められ、右工事の事実上の落札業者から提供された右比率にほぼ相当する金額を同町長に提供したという前記の経緯からすれば、被告人自身が、自分は単に業者からの賄賂を同町長に取り次いだにすぎないという気持ちを抱くことは、全く理解できないことではない。しかし、事柄を右のように捉えることについては、前記3指摘の事実(特に、3(1)の事実)が障害となり得る。のみならず、本件建築工事、電気工事及び機械設備工事の各落札予定業者の事実上の決定過程を一体としてみてみると、右見解は、事柄の実態にもそぐわないと考えられるのであって、結局、被告人は、右の三工事の落札予定業者の事実上の決定を丙町長から任され、右の事実上の権限を利用して、N社長を通じて自ら決定した落札予定業者から高額なリベートを徴した上、その一部(機械設備工事の落札業者からの分にほぼ相当する金額)を、自分にそのような強大な権限とリベート獲得の機会を与えてくれた丙町長に対する謝礼の趣旨で、同町長に提供したと認めるのが、実態に則した合理的な認定であるというべきである(このような見方をして初めて、被告人が、N社長から受け取った四三九万円のうち三〇万円を同社長に勝手に返戻したり、九万円を自己の懐に入れたり、更には、残りの四〇〇万円を、他の業者からのリベートと一括保管して混同させてしまった事実などの合理的な説明が可能になると思われる。)。

6 従って、この点に関する弁護人の主張も、採用しない。

三  恐喝事件について

1 公訴事実

平成元年七月二五日付け起訴状記載の公訴事実は、「被告人は、昭和六二年一二月二八日まで○○工業株式会社の代表取締役をしていたものであり、その後もオーナーとして同会社を采配していたものであるが、上尾市の幹部に因縁を付けて脅迫し、先に同会社が高崎線北上尾駅(仮称)建設促進期成同盟会に寄附した二〇〇〇万円の返金名下に同市から金員を喝取しようと企て、昭和六三年一〇月二七日ころ、埼玉県朝霞市<番号略>所在の同会社の社長室において、上尾市都市経済部長(当時)畑孝雄(当五三年)及び同市駅周辺整備対策室長(当時)G(当四五年)の両名に対し、『二〇〇〇万円をすぐ返せ。上尾市と同盟会の奴らは、俺に随分恥をかかせてくれたな。特別委員会など作りやがって調べるわ、新聞には書かれるわ、一体上尾の連中、何をやっていやがるんだ。俺は上尾市の仕事をしてやったんだ、市は俺のため随分助かったんだ。それなのに税金を余分に取られた、ひでえ仕打ちだ。頭に来るのが分かるだろう。俺は市外の業者だ、何も期待しないで二〇〇〇万円出すと思うか。お前ら俺の言うことをきかないと俺にだって考えがある。上尾市がどうなっても知らんぞ。上尾市をメチャメチャにしてやる。それにお前ら行動に気を付けろよ。』などと語気荒く申し向け、上尾市長荒井松司に対し二〇〇〇万円の支払方を求めた要望書と題する書面を交付して金員を要求した上、同年一二月二六日ころ、同県上尾市<番地略>所在の上尾市役所秘書室において、同市助役小池甫(当六六年)らに対し、『二〇〇〇万円すぐ返せ。年末だから取りに来たんだ。俺は市に寄付したんだ。要望書を見ただろう。収入役に連絡して小切手を出させればいいことだ。返さないと、市が全面的に悪いということを公表してやる。スピーカーがあるじゃないか、マイクを持ってこい。市がどうなってもいいのか。黙っていねえで金をいつ返すのかこの場ではっきりしろ。返さないと何があってもしらんぞ。俺にも覚悟がある。貴様は誠意がない、何度言っても分からない。』などと怒号し、応接用テーブルを足蹴にするなどして、寄附金の返還名下に二〇〇〇万円の支払方を要求し、もしその要求に応じなければ、右G、畑、小池らの身体・名誉・信用並びに上尾市役所の正常な業務の遂行及び名誉・信用等にいかなる危害を加えるかも知れない気勢を示して脅迫し、同人ら、並びに同人らからその都度被告人の右脅迫行為及び金員要求行為の報告を受けた上尾市長荒井松司(当七六年)をしてその旨畏怖させ、よって、平成元年三月三一日、同市から高崎線北上尾駅建設促進期成同盟会を経由して同県志木市<番地略>所在の株式会社埼玉銀行志木支店に開設してある○○工業株式会社名義の当座預金口座に二〇〇〇万円の振込送金を受けてこれを喝取したものである。」というものである。

2 争点の所在と当裁判所の結論

ところで関係証拠によると、かねて、上尾市を通じ期成同盟会に金二〇〇〇万円を寄附していた被告人が、公訴事実記載の昭和六三年一〇月二七日、○○工業の社長室において、同社を訪れた畑部長及びG室長に対し、激しい言葉で上尾市側の対応を詰るとともに、金二〇〇〇万円の返還要求条項を含む別紙記載の要望書を両名に渡し(以下、当日の交渉を「第一回交渉」という。)、右要望書が、小池助役を通じて荒井市長にも示されるに至ったこと、同年一二月二六日、単身上尾市役所秘書室に乗り込んだ被告人が、小池助役に対し、金二〇〇〇万円の返還を激しく迫ったこと(以下、当日の交渉を「第二回交渉」という。)、そして、その翌日、同助役から報告を受けた荒井市長が、これを契機に二〇〇〇万円を被告人に返還しようと考え、期成同盟会に対する予算措置を講ずるなど種種の手続上の操作を経て、翌平成元年三月三一日、同会から○○工業の当座預金口座に二〇〇〇万円を振込送金させたなどの事実は、極めて明らかなところであるが(その限りでは、被告人も事実を争っていない。)、被告人・弁護人は、(1)被告人には、恐喝の犯意がなかった。(2)被告人が行った言動は、恐喝の実行行為に該当しない。(3)荒井市長らによる金二〇〇〇万円の送金は、被告人の言動により畏怖した結果に基づくものではないなどと主張している。

従って、本件においては、被告人が、第一回及び第二回交渉において、具体的にどのような言動に及んだのか、それは被害者らを畏怖させるに足りるものであったか、その際、被告人は金員喝取の意思を有していたか、荒井市長による二〇〇〇万円送金の決意は、畏怖に基づくものかなどが当面の争点というべきであるが、弁護人らは、他にも、前記(1)(2)の主張に関連して、恐喝罪の成立を認める被告人の検察官に対する供述調書六通(平成元年七月二二日付け二通、二四日付け及び二五日付け三通)の任意性を争っている(なお、本訴因に関する被告人・弁護人の認否は、公判開始後、二転、三転したが、最終弁論における主張によって、これを検討することとする。)。

そして、当裁判所が、関係各証拠を仔細に検討してみたところによると、第一回交渉の際、被告人には恐喝の犯意があったとは認めることができないのみならず、証拠によって肯認し得る被告人の当日の言動は、これを恐喝罪の実行行為と評価することもできないけれども、第二回交渉の際における被告人の言動は、主観的にも客観的にも、恐喝罪の構成要件を充足するものというべく、ただ、荒井市長による金二〇〇〇万円返還の決断は、右脅迫による畏怖に基づくものと断ずることはできないので、本件は、結局、恐喝未遂罪を構成するに止まるものと認められる。

3 本件の証拠構造及び審理の経過

本件においては、公判の初期の段階で、被告人・弁護人が、それまでの認否を変更して、公訴事実を、一旦、ほぼ全面的に認め、検察官請求書証の取調べに全て同意したため、公訴事実に全面的に副う内容の書証(荒井市長、小池助役、畑部長及びG室長らの上尾市職員の検察官に対する各供述調書並びに被告人の検察官に対する供述調書。以下、これらを供述者に応じて、「荒井検面」「小池検面」などと表示し、被告人の検面を「自白調書」と表示する。)などが取り調べられているが、他方、弁護人は、その後に変更された被告人の認否を前提として、前記のとおり、被告人の自白調書の任意性(及び信用性)を争うほか、同意の上で取り調べられた前記各参考人の供述調書の信用性をも争った。そのため、当裁判所は、右弁護人の主張を前提として、弁護人請求の多くの証人を取り調べ、かつ、詳細な被告人質問を行ったものである。

なお、被告人・弁護人が、当初、公判審理の冒頭で、公訴事実の主要部分を争う姿勢を示したのち、前記のように大幅な認否の変更をしたのは、当時、既に長期間の身柄拘束により、被告人の健康状態が非常に悪化しつつあったため、ひとまず事実を認めて保釈を得たいという考えによるものとされている(記録一五八三丁)。そのような事情による防禦方針の変更は、いささか公正さを欠き、一般的には好ましいものではないが、本件においては、被告人が恐喝事件について起訴されたのちも、贈賄事件の捜査・追起訴が相次ぎ、審理が軌道に乗るまでに長期間を要したこと、恐喝事件には、関係者が多く、これらの者の供述調書を全て不同意として争った場合には、公判の著しい長期化も予想されたこと、被告人は、難病の高月病に罹患しており、長期の勾留に耐え得ないおそれもあったことなどの特殊な事情も認められるので、右は、当時の状況に照らし、やむを得ないものであったとの評価が可能である。そして、当裁判所としては、保釈後更に変更された防禦方針を尊重し、同意・取調べ済みの書証の信用性を争う機会を、弁護人側に十分に与えてきたのであり、以下の判断にあたっても、右のような公判初期の段階における防禦方針及び認否の再三の変更に重きを置くことなく、できる限り、取り調べた証拠の実質に立ち入り、その信用性を慎重に吟味するよう努めたつもりである。

4 本件捜査経過の特異性等

証拠によると、本件恐喝事件については、次のような特異な捜査経過が認められ、この点は、のちの個個の証拠(実体に関する証拠のほか、自白の任意性判断の前提となる事実に関する証拠を含む。)の証明力の判断に、重要な意味を持つと思われるので、争点に対する判断に先立ち、まず、この点を指摘しておくこととする。

すなわち、まず、埼玉県警察浦和西警察署(以下、「浦和西署」という。)は、当初、乙事件について約一年にわたって慎重な内偵捜査を行った結果、被告人が、乙課長等を台湾旅行に連れて行った事実(判示第二・二の事実)等を掴んだが、逮捕するに十分な資料を得ていなかったところ、不動産業者からのいわゆるたれ込みにより本件恐喝事件を認知するや、それまで内偵を継続してきた乙事件の捜査を一旦打ち切って本件恐喝事件の捜査を先行させることとし、平成元年六月ころ、上尾市に対して捜査強力要請を行うなどして、本件捜査に着手した。

ところで、荒井市長を含む上尾市職員は、もともと本件についての被害意識が薄く、二〇〇〇万円もの大金を喝取されたとすれば通常当然提出される筈の告訴状や被害届を一切提出していなかったが、捜査官は、同市長や小池助役を含む多くの職員を取り調べて、「被告人に脅迫され、二〇〇〇万円を喝取された。」旨の供述を得、しかるのち、同年七月四日、本件恐喝の容疑で被告人を逮捕・勾留するに至り、勾留期間延長の裁判を経て同月二五日に起訴に持ち込むまでの間、連日長時間にわたり、被告人を取り調べた。右取調べに対し、被告人は、客観的な事実の経過は、ほぼこれを認めたものの、恐喝の犯意を頑強に否認していたところ、起訴直前の検察官による取調べの際において全面自白に転じた。他方、捜査官は、本件逮捕の際の捜索により被告人方で差し押さえたダイアリー三冊(「ノート」として押収してあるもの。<押収番号略>。これらは、被告人が、第三者の目に触れることを意識せず、専ら備忘の目的のみにより日常的に作成していったものであるから、その記載には高度の信用性が認められるといってよい。)を検討した結果、随所に乙課長及び丙町長に対する金員交付を裏付ける記載がみられたことから、その後、順次、乙事件、丙事件を立件するに至ったものである。

右のような特異な捜査経過を辿った本件においては、証拠の信用性の判断上、次のような点に留意する必要があると思われる。すなわち、その一は、浦和西署が、約一年間にも及ぶ内偵を続けてきた乙事件の捜査を中断し、たれ込みによって認知した本件恐喝事件の捜査を先行させたのは、本件の捜査(特に、被告人の逮捕・勾留・取調べ)により、乙事件その他の関連事件についても、捜査の手掛かりを掴み、いわば、本件を一連の事件の突破口にしたいという意向に基づくものであったと推測される点である(右の点について、捜査主任官である諏訪史郎<以下、「諏訪刑事」という。>は、「恐喝事件の方が重大事件だから先行させたにすぎない。」旨供述するが、本件は、被害が高額であるとはいえ、被害者側から告訴状はおろか被害届も提出されていなかった財産犯であるから、現に行っている職事件の捜査を中断してまで、先行させなければならない程の緊急性のある事案ではないと考えられる。本件恐喝事件が、乙事件と同様、北上尾駅の用地買収にからむ事件であり、登場人物も、かなりの程度重複していること、一年間にわたる内偵捜査によっても、浦和西署は、乙事件の決め手となる証拠を収集するに至っていなかったことなどからすると、右諏訪証言にもかかわらず、前記のような推測が、優に成立するというべきである。)。このような狙いにより本件恐喝事件の捜査を開始した場合には、「何としても、被告人の身柄拘束の根拠となる証拠を掴みたい。」という気持ちが捜査官に働くことは、十分あり得ることというべきであろう。その二は、捜査官が、それまでに告訴状や被害届を一切提出していなかった市当局者から、短期間内に、「被告人に脅されて二〇〇〇万円を喝取された。」旨の供述を得るに至った点である。荒井市長らが、本件の被害を警察に申告しなかった理由については、争いがあるが、いずれにしても、二〇〇〇万円という高額の公金を、本来支払うべきでない用途にあててしまった当局者としては、「脅し取られた。」という供述は、当面自己の責任を回避し立場を正当化するのに都合の良い弁解であることが明らかである。そして、そのような立場の市当局者が、前記のような気持ちに駆られた捜査官の取調べを受ければ、その意図をいち早く察知し、捜査官の意図にも自己の利益にも合致する前記のような供述を積極的にするということは十分に考えられるというべきである。その三は、本件により逮捕・勾留後、連日の厳しい取調べに対しても頑として犯意を自白しなかった被告人が、延長後の勾留期間の満了する直前になって、突然犯意を含む事実関係の全貌を自白するに至ったことである。被告人は、難病の高月病に苦しみながらも、妻甲2の助力を得て、○○工業を初めとする多くの関連企業を実質的に経営するオーナーとして辣腕を振るってきた者であり、性格的にも、感情が激しく意思の強い、いわばしたたかな(ただし、人情にはもろい)人物と評し得るところ、身柄拘束後終始否認を貫いてきたこのような人物が、起訴前の勾留期間満了直前に突然一挙に自白に転じたのであれば、それなりに人を納得させるに足りる自白の動機があって然るべきである。

5  自白調書の任意性について

(1)  「約束」に関する被告人の供述の要旨

被告人は、恐喝の犯意等につき、捜査官に自白するに至った経過について、大要次のとおり供述している。すなわち、恐喝事件で逮捕されたのち、その外形的事実はこれを認めていたが、それを恐喝というのかどうかは見解の違いであるとして、犯意については否認していた。すると勾留期間延長後、起訴の二、三日前くらいから、検事調べを終えて浦和西署に帰ってくると諏訪刑事が待っていて、あるいは入房後寝ようとしているところを諏訪刑事に房の外に連れ出されるなどして、「贈収賄が主眼なのでUはやるが、TとHと乙はやらないことを約束するから恐喝だけは認めていってくれ。あんたも男だ、業界人なんだし、ここまで新聞に出てしまったんだから一つくらい背負っていけ。」「台湾旅行も行っているし全部上がっているんだからこれもやるよ。だからこれだけの方がいいんじゃないか。」「Hや乙にも家族があるんだし。」などと説得された。自分はこれを信じて自白することにして、検察官に各自白調書を作成してもらった。しかし、その後、乙が逮捕されたので、「話が違うじゃないか。とにかく諏訪課長に会わせてくれ。」と乙事件の取調官に訴えたが、会わせてもらえず、その代わり、諏訪刑事から次のようなメッセージメモが届いた。それは、「乙は逮捕する気はなかったが、マスコミが騒いで毎日のように自宅や役所に押し掛けたりして大変だということで、乙の方から保護を求めてきたのであって決して私どもの方から逮捕したものではない。その辺は理解して欲しい。」というものであった。以上のとおりである。

被告人の右供述は、極めて詳細かつ具体的で、しかもその特異な事実関係を生生しく語るものであって、被告人がこのような特異で具体的な事実を自ら創作して供述しているとはにわかに考え難い上、「逮捕当初は客観的事実関係を認めたが、犯意を否認していた。」との部分は、恐喝事件に関する被告人の供述調書中、比較的初期の段階で作成された自白調書には、犯意に関する記載がなく、概ね客観的事実関係だけが記載されているという事実による裏付けをも有する。また、被告人が、自白の動機として供述する右の事情は、したたかではあるが人情にはもろい被告人が、頑強な否認を撤回して自白に転じた理由として、かなりの説得力を有すると認められる。従って、右約束の存在に関する被告人の供述は、これらの点だけからみても、軽視し難い信用性を有するものというべきである(なお、検察官は、被告人の右供述は、被告人が、立件しないと約束されたという乙事件で逮捕・勾留されたのちも、同事件について素直に自白している事実からみて信用できない旨主張するが、被告人は、自ら保護を求めてきたという乙課長の件はやむを得ないとしても、自分が抵抗すれば、まだ逮捕されていないHやTまで刑責を追及されることになるという判断に基づき、乙事件について自白した旨供述しているのであり、右供述は、右両名が結局刑責の追及を免れている点からみても、それなりの説得力がある。従って、被告人が乙事件について素直に自白したという事実は、被告人の前記供述の信用性を大きく減殺するものではないと考えられる。)。

(2)  対立する諏訪証言の評価・検討

これに対し、諏訪刑事は、検事調べのあった夜遅くまで浦和西署にいたこと、及び乙事件の捜査に移行して以降被告人と一切会っていないことの点は、いずれもこれを認めるものの、その余の被告人の供述を全面的に否定する。しかし、同刑事の証言については、重要な点において常識上にわかに納得し難い不合理な矛盾・変転がある。すなわち、例えば、①同刑事は、検事調べがあった夜に、遅くまで署に残っていた理由として、当初、「捜査主任官として検察官から連絡があるかもしれないし、被告人の健康状態について非常に留意していたので無事に帰ってきたことを確認する必要があったから。」という説明をしたが、その後、弁護人に追及されて、「遅くまでやらなければならない仕事があったことが主たる理由で、被告人を待っていたのは従たる理由にすぎない。」旨右証言を簡単に変更しているし、②乙事件の捜査開始後被告人と会わなくなった理由については、健常者であっても勾留期間の長期化に伴い健康状態の悪化が心配されるのは常識であり、高月病の持病に苦しむ被告人については、その心配がいっそう顕著であるのに、「勾留の長期化に伴い、被告人の健康状態について配慮する必要はなくなったから。」という、常識上到底承服し難い不合理な証言に終始している(乙事件による逮捕後、同刑事が被告人と接触する機会がなくなったのは、むしろ、被告人が供述するとおり、浦和西署が、右事件により被告人を再逮捕して、被告人との約束を反故にしたため、合わせる顔がなくて被告人を避けていたからではないかと考えた方が、より合理的である。)。その他にも、諏訪刑事は、③「検事調べの内容には全く関心がなかった。」とか、④「恐喝罪で起訴されたのち、乙事件で逮捕する前に被告人から事情聴取をしたが、調書を作成したかどうかは分からない。」などと捜査全般に責任を負うべき捜査主任官の立場とは相容れない不自然な証言を繰り返している上、同刑事の証言によっては、前記のような被告人を、何故に勾留期間満了の切迫した時点で全面的に自白に追い込むことができたのかが、結局明らかにされていない。これらの点からすると、諏訪証言の信用性は極めて乏しく、前記被告人の供述を排斥するに足りる証拠価値を有しないと考えられるのであり、被告人が自白するに至った経緯は、被告人の供述するとおりであると認めるほかはない。

(3)  自白調書の任意性

右(1)(2)を前提として検討すると、諏訪刑事は、被告人の頑強な否認に手を焼いたため、被告人が仕事上かねて親しい接触のあった対策室のT、H及び乙課長の職事件を立件しない旨被告人に約束ないしその旨の利益誘導をし、逆に、右利益誘導に応じなければこれらの職事件を立件する旨暗黙のうちに脅迫を加えて自白を慫慂したと認められ、本件自白調書六通は、警察官による右のような違法・不当な取調べの影響下において、検察官によって作成されたものと認められる(なお、本件自白調書を作成した検察官自身は、特段違法・不当な言動に及んだとは認められないが、警察官による右のような取調べの影響を遮断するための特段の措置を講じていないことが明らかであり、本件自白調書は、警察官による違法・不当な取調べの影響下において作成されたと認められる。)。このような違法・不当な取調べの影響下に作成された自白調書は、その任意性に疑いがあるというべきである。

従って、前記自白調書六通は、その証拠能力を肯定することができないので、証拠から排除することとする。

6 第一回交渉(一〇月二七日)の際の言動について

そこで、次に、被告人の自白調書を除くその余の証拠により、本件公訴事実中、第一回交渉における被告人の言動に関し、その際の被告人の意図及び右言動が恐喝罪の手段としての害悪の告知といえるかどうかについて検討する。

(1) 財物交付目的の有無

まず、当日、被告人が、畑・Gの両名に交付した要望書には、その冒頭に、「二〇〇〇万円の返却そして私との関係を断ち切る。」との記載があり、これに、当日、被告人から、「二〇〇〇万円をすぐ返せ。」などと迫られたとする両名の各検面の記載(更には、ややニュアンスを異にするが、結局同旨に帰着する各公判証言)を併せると、当日の被告人の交渉目的が、まずもって二〇〇〇万円を上尾市から取り返す点にあったことは、一見して明らかであるようにも考えられる。しかし、他方、被告人は、当公判廷において、「当日の真意は、上尾市に対し、名誉の回復を求める点にあったのであり、右書面に二〇〇〇万円の件を書いたのは、無理な要求を書いたもので、そうすれば上尾市も名誉回復を真剣に考えるようになるだろうと期待した、いわばジェスチャーにすぎない。このことは、当日、両名によく伝えてある。」旨供述する。

被告人の右供述は、一見すると詭弁のようにも感ぜられるが、必ずしもそうとはいえないと考えられる。なぜなら、被告人が、荒井新執行部発足後当日に至るまで(及びその後においても)、市側に対し一貫して自己の名誉回復を求めてきたことは、判示「犯行に至る経緯」において認定した事実関係に照らし明らかであって(なお、右認定は、前記ダイアリーの記載によって、随所に有力な裏付けを有するものである。)、右の経過からすれば、被告人が、当日に限って、二〇〇〇万円返還の件に固執し、これを前面に押し出したと考えるのはむしろ不自然であるとすら考えられるからである。そして、この点に関する畑・Gの各証言は、必ずしもその趣旨明らかではないが、当日両名から報告を受けた小池助役の証言は、「右要望書を畑・Gから見せられ報告を受けた際、甲の本意は金を返してもらうことにあるのではなく、名誉回復に重点があるものと理解した。」というものであり、右は、「真意は名誉回復にあることを畑部長らに告げた。」とする被告人の前記供述を有力に裏付けている。

このようにみてくると、前記要望書の記載内容及び畑・Gの検面の文面等のみに注目して、当日の被告人の言動が、二〇〇〇万円の返還を目的としたものであったと断ずることには、疑問が残るというべきである。

(2) 具体的言動について

畑・Gの各検面中には、当日被告人から、公訴事実記載の各言辞を大声で浴びせかけられたため、大変恐ろしい思いをしたとの記載があり、右各言辞が、相当程度特異で具体的な内容であること、両名の供述内容がほぼ一致していること及び当日被告人がかなり興奮していたことを認めていることなどに照らすと、被告人が当日ほぼ公訴事実に副う内容の言辞を両名に大声で申し向けたとの事実については、疑問の余地が全くないようにも考えられる。

しかし、事件の約九か月後に、前記4指摘のような経緯で取調べを受けた畑・Gらとしては、二〇〇〇万円という公金の支出がやむを得ないものであったことを強調したいという心理が働くのは当然のことであるから、右各検面の内容に、意識的・無意識的かはともかく、誇張が介在する可能性は、十分にあると考えるべきであろう。現に、右各検面において、畑らは、あたかも、被告人が、金二〇〇〇万円の返還を最大の目的としてこれらの言辞を発したかのように述べており、被告人から、「真意は、名誉回復の点にある。」旨言われたとの記載は右各検面中には全く見当たらないのであるが、被告人が両名にその趣旨を伝え、両名もこれを理解して帰ったことは、前記のとおり、当日両名から報告を受けた小池助役の証言によっても、十分裏付けられているのである。また、例えば、畑の平成元年七月一七日付け検面には、「甲会長の言い方は、声を高くして荒っぽく怒鳴りつけたり、にらみつけながら低い声で文句を言うのであり、また、その間何度も沈黙が続き、はだけた胸からはだらだらと汗が出て不気味というかすごみがありました。甲会長のこのような調子の言い方に、私は恐ろしくなり……」などと、当日の被告人の言動の威圧感を強調する部分があるが、畑証言によれば、同人は、当日、「こわいと受け取ったかと正面切って言われれば、当然そういう認識」だが、それは、「普通の会話よりはきつい」語調で、「こわかったという認識よりも、ただ、何の期待もしないで、二〇〇〇万円という大金を寄附するばかがいるかと言われ」たので、「口調がちょっときつかった」という程度にすぎないとされている(記録一二二九丁)。このようにみてくると、畑・Gの各検面の記載はかなりの程度割り引いて受け取る必要があると思われる。

そこで、そのような観点から公訴事実記載の当日の被告人の脅迫文言をみてみると、被告人が発したとされる言辞の大部分は、被告人に対する上尾市の対応を難詰し、自己の憤懣をぶちまける趣旨に受け取れるものであり、文言自体から恐喝の実行行為性が問題となりそうなものは、「お前ら俺の言うことをきかないと俺にだって考えがある。上尾市をメチャメチャにしてやる。それにお前ら行動に気をつけろよ。」という部分だけである。そして、右部分は、被告人がそのような発言をしたことを争っているのであり、さきに述べた趣旨において、果して、右発言を事実と認めてよいかにも疑問は残るのであるが、かりにこれに近い発言がされたと仮定しても、右発言において被告人が予告したと考えられる今後の行動は、甚だ抽象的であり、被告人が、現実に、上尾市や両名に対し、どのような危害を加えようとしているのか、また、それが果して実現可能と考えられるものであるかが明らかでない。従って、これは、被告人が両名に対し、単なる強がりを言っているに過ぎないと受け取られる余地が十分にあり、また、被告人が、右翼と関係のある者ではあっても、暴力団員又はその関係者ではなく、一事業家として、ともかくも、これまで上尾市の市政に協力してきた者であり、また、高月病の持病のため、松葉杖なくしては歩行も困難な身体障害者(一級)であることなどをも総合して考察すると、前記各言辞は、いまだこれをもって、右両名を畏怖させるに足りる脅迫と評価するには足りないというべきである。

(3) 結論

以上のとおりであって、第一回交渉の際の被告人の言動は、財物(二〇〇〇万円)の交付を求めるためのものではなく、被告人には恐喝の犯意が認められない上、右言動は、畑・Gの両名を畏怖させるに足りるだけの内容を伴わず、客観的にも恐喝罪の構成要件を充足しないというべきである。従って、本件公訴事実中、一〇月二七日の恐喝の実行行為とされる部分については、その証明がないので無罪であるが、右は、一二月二六日の行為と包括一罪を構成するものとして起訴されたものと解されるから、主文で無罪の言渡しをしない。

7 第二回交渉(一二月二六日)の際の言動について

(1) テーブルの足蹴りの事実の有無について

第二回交渉の際の被告人の具体的言動については、被告人が、テーブルを足蹴りにしたとの点を除き、ほぼ争いがないが、右テーブル足蹴りの点のみについては、被告人が激しくこれを争っているので、まず、この点について検討する。

この点については、当日秘書室で直接被告人の相手をした小池助役が、検面中でその状況を詳しく述べているのみならず、同人は、証人としても、右事実の存在を明言し、また、この状況を目撃したという市職員(秋山博明秘書室長及び菅間茂久秘書室主事の両名)も、各検面中で、右小池供述と同旨の供述をしている。そして、右各供述は、極めて特異な事実を、詳細かつ具体的に、しかもかなりの迫力をもって生生しく語るものであること、地方公務員である市の幹部職員が、三名も揃って、虚構の事実をねつ造して供述するというようなことは、通常考え難い事態であること、当日、被告人は、著しく興奮し、激高していた様子が窺われるから、もともと気性の激しい被告人がそのような行動に出ることは、いかにもありそうなことと考えられることなどの諸点に照らすと、右テーブル足蹴りの事実には、証拠上疑いの余地がないようにも考えられる。

しかし、この点についても、前記4記載の本件の特異な捜査経過に照し、市職員らが、公金支出に関する市の態度を正当化するため、事実を誇張して供述している疑いがあり得るので、慎重に検討すると、まず、前記三名の検面は、最初に小池、次いで秋山、菅間と、役職の上の者から順次作成されていったものであることが、各検面の作成日付により明らかであるところ、市助役である小池が捜査官に供述した事実について、部下職員がこれを否定する供述をすることは、当時の状況に照らし困難であったと思われるから、もし捜査官が、小池供述に基づいて秋山、菅間らを誘導したとすれば、両名から、小池供述に副う供述を得ることが、それ程困難であったとは思われない。従って、右の点については、三名の供述が一致している点を、採証上重視するのは相当でない。次に、被告人は、高月病(骨髄腫、糖尿病、末梢神経障害)の持病を有し、右疾患により、「昭和五六年入院時より両足関節部の機能障害」があり、「末梢神経障害による下腿の痛覚亢進により、圧痛、冷感、しびれがあ」る旨診断されている(医師井上詠作成の診断書)。そして、当裁判所が公判審理の過程で繰り返し現認した被告人の法廷内における挙措動作に、右診断書の記載及び甲2証言(第四〇回公判)等を併せると、「両足の関節が自由に曲がらず、刺激に対する痛みが激しいので、堅いテーブルを蹴ったりする気には到底なれない。」という被告人の供述(記録一五二五丁ないし一五二七丁)の真実性は、にわかにこれを否定し難いというべきである。のみならず、被告人は、「検察官の取調べに対し、前記5(1)記載の経緯でテーブル足蹴りの事実を認めてしまったのち、市役所から応接セットを浦和西署に運んできて現場のとおり再現し、ソファーに座ったままテーブルを蹴る実験をさせられたところ、普通に座った姿勢のままでは、足がテーブルの棚板を蹴れない状態だったので、警察官の指示に従い、腰から思い切り前へせり出す姿勢をとり、足がテーブルの足に接触する状態を作って写真をとってもらった。」旨供述しているところ(記録一五一三丁ないし一五一五丁、一五一八丁ないし一五二四丁、一五七五丁ないし一五七八丁、一六〇三丁)、司法警察員作成の平成元年七月二六日付け実況見分調書添付の写真8ないし14は、被告人の右供述を裏付けるもののように思われる。そして、右実況見分調書によると、被告人が蹴ったとされるテーブルは、高さ一〇五センチメートル、幅四八センチメートルの大型のものであることが明らかであり、かなりの重量があることも窺われるのであって(秋山検面によると約一〇キログラムはあるとされている。)、このようなテーブルを、身体、特に下半身に前記のような障害のある被告人が、かりに足で蹴ったとしても、その位置を大きく動かすまでの衝撃を与えることは至難の枝と考えられるが、小池助役ら三名は、一致して、被告人の足蹴りにより右テーブルが音をたてて二、三〇センチメートルも移動し、その角付近が、小池助役の右足に当たった旨(更に、小池助役は、「膝に痛みが走」った旨)、到底事実とは思えない供述をしているのである(さすがに、検察官も、右小池らの供述を全面的には措信しなかったと思われ、公訴事実及び冒頭陳述には、被告人がテーブルを足蹴りにした事実のみを掲げるに止め、これを小池助役の足に当てたとの事実は主張していない。)。以上のような証拠上の問題点を総合すると、被告人によるテーブル足蹴りの事実は、小池ら三名の前記のような一致した供述にもかかわらず、これを事実と認めるには、なお相当の疑問(合理的な疑い)が残るといわなければならない。

(2) 恐喝の犯意及び実行行為の存否について

テーブルの足蹴りの点を除く公訴事実記載のその余の言動については、被告人は、結局、公判廷においてその大部分を認めるに至っているところ、右供述は、小池ら三名の検面及び小池証言によって支えられているので、右公訴事実記載の文言を被告人が発したことは、これを事実と認めるほかはない(被告人は、「俺にも覚悟がある。」と言ったとの点を否認するが、小池らが言われたとする右一連の文言中右の部分のみ否認する被告人の供述には、説得力が不足している。)。そして、当日被告人が、誠意のない市側の態度にいたく憤慨し、いわば「怒り心頭に発し」た状態で、二〇〇〇万円の返還を求めるため、市役所へ赴いたことも、証拠上明らかなところであって、市側の職員の多くが、執務時間内に、約二時間にもわたり、市庁舎内で大声で怒鳴りまくる被告人の見幕に怖れをなしたことは、理解し得るところである。しかも、被告人が、当日発した言辞の中には、相手方に対し直接危害を加えることをほのめかすものは少なかったとはいえ、「返さないと、市が全面的に悪いということを公表してやる。」「スピーカーがあるじゃないか。マイクを持ってこい。市がどうなってもいいのか。」「俺にも覚悟がある。」など、自己の要求に応じない場合に加えるべき害悪を具体的に予告するものがあり、右予告された害悪は、通常人をして畏怖心(少なくとも、困惑畏怖といわれる心理状態)を生じさせるに足りるものであったと認められる(従って、右は、弁護人が主張するような、単なる「鬱憤晴らし」の発言とみることはできない。)。右の点に加え、右第二回交渉に先立つ第一回交渉において、被告人は、畑・Gの両名に対し、恐喝罪の構成要件を充足するに至らないとはいえ、かなりの程度威迫的な言動に出ていたことも明らかであり、小池助役は、両名からその際の状況につき一応の報告を受けていたこと、小池助役自身は、荒井市長の当選後助役として起用された者で、Gら旧執行部にもいた者と異なり、従前、被告人との接触の機会が少なかったことなどをも併せると、被告人が、上尾市に二〇〇〇万円の寄附や土地買収などの実績のある市政の協力者であり、そのことを小池助役が知っていたことを考慮に容れても、当日の被告人の言動が、恐喝の手段としての脅迫行為にあたることは、これを否認することができず、当日小池助役が、これにより、(検面中で述べるように、いたく畏怖したかどうかは別として、)少なくとも、いわゆる困惑畏怖と評価し得る心理状態に陥ったことは、これを認めざるを得ないと考えられる。

これに対し、弁護人は、①被告人は、上尾市が寄附金を自己に返還する意向であるのを知っていたのであり、②当日も、単に、返還の意向の確認と返還時期の決定を求めたにすぎないなどとして、恐喝の犯意を争うが、右①については、被告人は、判示「犯行に至る経緯」認定のとおり、一一月二二日に荒井市長が名誉回復の約束をしたにもかかわらず、一二月一七日の北上尾駅の開業予定日の前後を通じ市側から何らの連絡すらなかったことに不安を感じ、かくては、北上尾駅の開業という既成事実を武器に、市側が二〇〇〇万円の返還問題すらうやむやにしようとしていると考えて怒り心頭に発していたと認めるのが相当であって、「一二月一七日を過ぎても連絡がないので、市が二〇〇〇万円返還の意を決したものだと思った。」という被告人の弁解は、強弁ないし詭弁以外の何ものでもないと考えられる。従って、また、当日被告人が、市側に対し、単に、「返還の意向の確認と返還時期の決定」を求めたにすぎないとの前記②の主張の理由のないことも、明らかなところである。

(3)  金二〇〇〇万円の被告人への返還の理由及び経過

ア  右のとおり、第二回交渉の際の被告人の言動の結果、小池助役が、少なくとも困惑畏怖の状態に陥ったと認められ、また、関係証拠によると、その翌日(一二月二七日)、同助役の報告を受けた荒井市長が、即日、被告人に対し金二〇〇〇万円の返還を決意し、その結果、同市長の指示に基づき、所定の手続を経て、平成元年三月三一日、期成同盟会を経由して、埼玉銀行志木支店の○○工業株式会社の当座預金口座に金二〇〇〇万円が振込送金されたことも極めて明らかなところである。従って、右二〇〇〇万円の返還が、第二回交渉における被告人の言動を契機として行われたこと、換言すれば、被告人の言動と二〇〇〇万円の返還との間に条件的な意味での因果関係があることは、これを否定すべくもないことである。

イ  しかし、恐喝の既遂罪が成立するためは、脅迫行為と財物の交付との間に、単に条件的な因果関係が存するだけでは足りず、右財物の交付が、被恐喝者の畏怖に基づくものでなくてはならない。ところで、荒井市長や小池助役の検面中には、同市長の右意思決定が畏怖によるものであるとの趣旨の記載部分があるが、右各供述については、次のような疑問を容れる余地がある。

ウ  まず、荒井市長を含む市側の者によって採られた事後の対応が、余りにも堂堂としていて、恐喝の被害者の行動らしくないことが問題である。同市長らは、被告人の言動を契機に二〇〇〇万円という高額の公金を、市井の一業者である被告人(ないし○○工業)へ交付するにあたり、既に期成同盟会が北上尾駅の建設に関して支出していた費用のうち、市から補助金を支出し得る費目を選び出してその合計額二二八九万七四六九円を同盟会に補助金として交付することとし、その旨の補正予算を組んで市議会の承認を得、右金額を同盟会に支出したのち、そのうちの二〇〇〇万円を、○○工業の銀行預金口座へ振り込ませるという方法を講じているのであって(のみならず、市側は、被告人に対し、期成同盟会に対する請求書を提出するよう求めて、逆に拒絶されている。)、その間、被害を警察へ通報して被告人の逮捕を求めるというような方法は、全く検討された形跡がない。もっとも、右の点につき、検察官は、「わざわざ、こちらからその人を罪に陥れるようなことはしたくない。この二〇〇〇万円を支払うことによって、後、いろいろな脅しとか何とかなければ、それに越したことはないという考え方だった。」という荒井証言を援用して、同市長は、単に「積極的に処罰を求める意思がなかった」だけで、そのことは、恐喝罪の成否には関係がない旨主張するが、いやしくも、地方公共団体の首長たる地位にある荒井市長が、一業者の脅迫を受けて二〇〇〇万円もの高額の公金の支出を余儀なくされようとしたのであれば、まずもって警察への通報を考えるのが当然であり、そのような措置に全く思い至らないまま、唯唯諾諾と右業者の脅迫に屈したというのは、何としても理解し難いことといわなければならない(なお、被告人との癒着が問題とされていたのは、旧執行部であって、新執行部の手は、未だ汚れていなかったのであるから、警察へ通報することにより、当時の執行部が打撃を受けるという関係にはなかったと認められる。)。

エ  次に、荒井市長自身、当公判廷において、自己の決断が、被告人の言動による畏怖に基づくものであることを必ずしも明言していない。すなわち、同人は、当公判廷において、弁護人の尋問に対し、被告人から脅されたのは、「市役所の職員じゃないですか。」「助役とか担当の係とか。」などと、あたかも、自らは局外の立場にあるかのような証言をし、更に、「市の金を脅し取られたという検察官の言い方は、あなたの認識とちがうというわけですね。」との質問に対しても、「まあ、そういうことでしょうね。」とこれを肯定するとともに、「被告人の言動は犯罪に当たると思っていましたか。」との質問に対しても、「そんなことは、思っていない。」旨断言しているのである(記録一三九丁裏、一九五丁表、二一〇丁裏)。もっとも、同人は、その後、検察官の「桐生検事に対しては、結局脅かされたために、支払わざるを得なかったということなんですが、こういうことでしょうか。」との誘導尋問に対し、「だから、それ一筋でしょうね。」と応答してはいるが(同二五一丁裏)、同人の証言全体からは、自己が、被告人の言動に畏怖した結果、やむなく二〇〇〇万円の支出を決定せざるを得なくなった為政者の切実な苦悩は、一向に感ぜられず、右証言と同人の前記検面の記載との間には、大きな落差がある(なお、荒井市長の訴訟代理人は、上尾市住民から提起された損害賠償等請求の民事事件の答弁書において、同市長の行動が被告人の「強圧的言動」によることのみを認め、同市長が恐喝の被害を受けたことを、正面から認めていないが、右答弁書が、同市長からの慎重な事情聴取を経て作成されていると推認されるだけに、右の点も、無視し難い点である。)。

オ そこで、荒井市長の公判証言と検面の間に落差の生じた原因について考えてみるのに、同人が現役の市長という強い立場にあることからすると、同人が、被告人の面前では自由な証言ができなかったという可能性は、まず考慮の外に置いてよいであろう。そこで、更に、同人が捜査官に迎合して「畏怖した」旨自己の記憶に反する供述をしたという可能性について考えてみるのに、右のような事態は、同人の市長たる立場からみて、一般的には考えにくいことではあるが、前記4のような特異な捜査経過を辿った本件においては、その可能性を否定することができないと思われる(特に、同項中「その一」「その二」の留意点参照)。

カ  そこで、次に、被告人の言動により畏怖してもいない荒井市長が、二〇〇〇万円もの大金の返還を決意することがあり得るのかについて考えてみることとするが、この点については、判示「犯行に至る経緯」において詳細に認定したとおり、荒井市長を頂点とする新執行部が、かねてより、旧執行部が被告人から受けた二〇〇〇万円の寄附の問題に頭を痛め、いわゆる黒い霧の原因となる二〇〇〇万円を返還して、問題を一挙に解決できないものかと考えていたことが注目されなければならない。もっとも、右の点について、荒井市長自身は、「二〇〇〇万円を返すような口振りをしたことはない。」「返せるなら返してしまいたいと考えていたことはない。」などと証言している。しかし、被告人は、昭和六三年三月一八日に荒井市長を表敬訪問した際、同市長は既に、二〇〇〇万円を返してしまえないかと発言していた旨具体的な供述をしているところ、そもそも、事実の客観的経過に関する被告人の供述は、随所にダイアリーの記載による客観的な裏付けを有し内容的にも甚だ筋が通っていて、一般的に信用性が高いと考えられるのみならず、右三月一八日の会見における荒井市長の発言に関する部分は、甲2の証言(第一一回公判)によっても支えられているのである。また、その後、市当局から、種種の機会に、「二〇〇〇万円は返せるものなら返したい。」「返してもおかしくない。」旨の発言がされていたことは、長野繁の証言や上尾市議会(昭和六三年六月一〇日ないし二五日の会期で行われた定例市議会)議事録(<書証番号略>)などによっても優に窺うことができる。従って、この点に関する荒井証言は、到底信用することができない。そして、市長を初めとする市当局者が、二〇〇〇万円の返還問題について右のような意向を有していたことを前提として考えると、一二月二七日に、荒井市長が、小池助役から前日の報告を受けた際、被告人の言動により畏怖するまでには至らなくても、しつこく食い下がってくる被告人の態度に手を焼き、今後もその対応に苦慮させられるくらいならば、いっそのこと、被告人が求める二〇〇〇万円を返還することにより、旧執行部との癒着の噂のある被告人との関係を一挙に清算し、将来の禍根を断つにしくはないとの気持ちになることは、十分あり得ることと考えられる。

キ 最後に、少なくとも困惑畏怖の状態に陥ったと認められる小池助役から報告を受けながら、荒井市長が畏怖しないということがあり得るかについて考えると、小池助役自身は、被告人の迫力ある言動に直接接した当事者であるのに対し、荒井市長は、これまでの会見で、被告人の怒気を含んだ態度には全く接しておらず、むしろ、一一月二二日の会見においては握手をして別れたことが明らかである上、一二月二六日当日、小池助役との交渉後市長室に現れた被告人と会話を交わした際にも、被告人からは、特段粗暴な言動で接されなかったことが認められる(なお、一二月二六日の被告人との面会について、被告人が、明確かつ具体的な供述をしているのに対し、荒井市長の証言は、これを肯定したり否定したりして一貫性がなく、被告人の供述を排斥するに足りる信用性があるとは認め難いので、当日被告人が同市長と会見したこと及びその際被告人が特段粗暴な言動に出なかったとの点は、これを事実と認めざるを得ない。)。従って、当日の被告人の言動が同市長に与える衝撃力は、右の点だけから考えても、小池助役に対するそれと比べかなり弱いものであったと考えられるし、また、荒井・小池らの供述によると、同市長に対する小池助役の報告は甚だ概括的なものであったことが窺われるので、右報告を受けた同市長が、これにより小池助役が受けた程の衝撃を感じないということは、十分あり得ることと考えられる。

(4)  結論

以上のとおりであるとすると、荒井市長による金二〇〇〇万円返還の決断が、被告人の言動により畏怖した結果に基づくものと考えるには、疑問点が余りにも多く、右は、荒井市長が、前記カ記載のとおり、しつこく食い下がってくる被告人の態度に手を焼いただけで、畏怖には至らないまま、金二〇〇〇万円を返還して被告人との関係を一挙に清算するにしくはないと考えた結果であると認めるのが相当である。従って、本件については、恐喝既遂罪の成立する余地はなく、被告人の行為は、同未遂罪を構成するに止まると解すべきである

第四  法令の適用

被告人の判示第一・二、同三(二)、同三(三)の各所為はいずれも刑法一九八条に(ただし、同二の所為は、包括して)、同四の所為は同法二五〇条、二四九条一項にそれぞれ該当するので、第一・二、同三(二)及び同三(三)の各罪につき、いずれも懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第一・四の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用のうち証人瀬田薫に支給した分の全部並びに証人伊藤伍朗、同長野繁、同小池甫、同U及び同松本弘に各支給した分の二分の一は、刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを被告人に負担させることとする。

第五  量刑の理由

一  総説

本件各事犯は、設備工事関係の事業で身を起こし、複数の会社を経営するまでになった被告人が、公共事業に関連して不正な利益を得ようと考え、上尾市都市経済部都市計画課長(判示第一・二)や鶴ケ島町長(判示第一・三)に対し各賄賂を供与し、また、自己のした二〇〇〇万円という高額な寄附を取り戻そうとして上尾市幹部職員らを脅迫した恐喝未遂(判示第一・四)の事案であって、いずれも被告人の事業が地方公共団体と関わる中で生じたものである。右各犯行は、犯行の回数や賄賂の額、更には喝取しようとした金額などだけからみても、到底その犯情を軽視し得るものではないが、個個の事件について、それぞれ独特の注目すべき事情が存するので、以下、これらの点について、やや立ち入って考察する。

二  乙事件について注目すべき事情

本件は、上尾市が推進しようとしていた北上尾駅建設予定地付近にたまたま他の目的で事業用地を取得していた被告人が、同市の新駅開設構想を知ったことから、判示のような職務権限を有する乙課長に対し、再三にわたり饗応及び現金供与などをして関係を深めた結果、一連の取引を通じ、莫大な利益を挙げ得たことから、その謝礼の趣旨をも含めて、費用丸抱えの台湾旅行に招待し、かつ、現地における遊興費にあてるための現金一〇万円を供与したという事案であるが、右犯行に至る経緯及び供与にかかる利益の額(計二三万五〇〇〇円)・性質などからみて常識上到底賄賂性を否定し難いと思われるのに、被告人が、公判の最終段階になって、その趣旨を争うに至り、「これが賄賂だとされるのだったらもっと高額なものを贈った筈だ。」などという不合理な弁解をしていること、公訴時効の完成により起訴を免れてはいるが、右は一回限りの犯行ではなく、右犯行までには、更に三回の現金贈賄が存在したことなどの諸点に照らし、本件自体についても、かなり強い社会的非難が加えられて然るべきである。

しかし、他方、本件については、被告人の一連の土地買収作業は、新駅開設の構想を抱きながら、土地買収問題に適切な手を打てていなかった上尾市側にとっても極めて有用であったことに疑いはなく、その意味で被告人が、新駅開設に貢献したという側面があることは、これを否定し難いこと、右犯行の決意が生ずるについては、たまたま予定した外国旅行のメンバーに欠員が生じたという偶然の事情も介在したこと、賄賂の金額も、著しく高額であるとはいえないことなどの諸点を、量刑上考慮に容れないわけにはいかないと思われる。

三  丙事件について注目すべき事情

本件は、丙町長から右翼の誹謗・中傷を静めるべく五〇〇万円を渡された被告人が、その対策を講じたものの、思った程その成果が挙がらなかったことから、同町長にその返還を迫られてこれを返還することとし、その一部を返還し始めたのち、判示の経緯で、鶴ケ島町が発注する建築工事等に関する業者の選定・指名等の職務権限を有する同町長に対し、まず、右翼対策費の未返還分相当額の三〇〇万円の賄賂を供与し(判示第一・三(二))、その後、同町長から五パーセントのリベートの提供を条件に、指名業者選定委員会に諮る機械設備工事業者の選別を任されるや、判示のような経緯を経て、機械設備工事の代金のほぼ五パーセントに相当する金四〇〇万円の賄賂を供与した(判示第一・三(三))という事案である。右各犯行は、供与にかかる金額が合計七〇〇万円という高額に達するのみならず、これによって、本来公正であるべき公共事業の遂行を著しく歪曲し、しかも、自らは、関係業者から多額のリベートを手中にしたという点で、強い非難に値するというべきである。

他方、本件については、被告人と丙町長との癒着は、同町長が被告人に対して右翼対策を依頼したことに端を発したものであること、被告人の本件犯行の決意は、被告人が、同町長に迫られて、前記右翼対策費の一部の返還を始めたのちに、同町長が不用意に公共工事に関する情報を被告人に流したため、いっそのこと、この際残金三〇〇万円を一挙に返還して右工事に関する有利な取り計らいを得ようと考えた点にあったと認められること、従って、右三〇〇万円の供与は、もちろん、被告人が法律上の返還義務を履行したというものではないが、さりとて、これによって、同町長に対し全く不当の利益を帰属させたものでもないこと、のちの金四〇〇万円の賄賂は、むしろ丙町長の側から要求されたという性格が強いことなどの事情を認めることができ、これらの点は、それなりに、被告人のため斟酌されるべきであろう。

四  恐喝事件について注目すべき事情

本件は、丙事件に関係するところでもあるが、北上尾駅建設に関する土地買収交渉過程の中で、上尾市職員からの申し入れを受け、新駅設置のために二〇〇〇万円もの寄付をした被告人が、その後、市長の交代等による情勢の変化のため、右寄附によっては何らの経済的恩恵を受けなかったばかりか、一〇〇〇万円にも近い税金を負担させられ、更には、調査特別委員会において自己と上尾市との癒着問題が検討されるまでになったことを不快として、同市に対し名誉回復を求めたところ、曖昧な対応ののち、ようやくこれを約束した上尾市長が、一向にこれを履行しなかったことに立腹し、遂には、単身市庁舍内に乗り込んで、同市助役らを判示のような言辞で脅迫して寄附金の返還を求めたが、上尾市長を畏怖させるに至らず、むしろこれを機会に二〇〇〇万円を返還して禍根を一切断ち切ろうと決意させて、期成同盟会を経由して二〇〇〇万円を返還させるに止まったという恐喝未遂の事案である。被告人は、もともと、既に履行済みの寄附金を、右のような理由により返還請求し得る権利を有していないこと、また、かりに市長がこれを返還したいと考えても、そのための適当な手段が見当たらないことなどを十分承知の上でその返還を迫ったものであり、その言動が、判示のとおり、激越で傍若無人というべきものであったことなどからみても、右は、甚だ悪質な犯行といわなければならない。

ただ、本件についても、被告人のため斟酌すべき事情が、いくつか存在する。その一は、被告人の要求に対する市側の対応の拙劣さであり、この点は、犯行の動機とも関連する。すなわち、被告人は、前記のような理由により、まず当初、市側に対し、自己の名誉回復のための措置を求めたのであるが、これに対する市側の対応は、判示のとおり、極めて曖昧で、無責任なものに終始した。もともと、被告人が、二〇〇〇万円もの大金を上尾市を通じ期成同盟会に寄附した動機は、全くの善意に基づくものとは考えられず、これにより市の公共事業に食い込むなどの狙いを秘めたものであったと考えるほかはないが(被告人も、公判廷において、右のような狙いがあったことを、必ずしも正面からは否定していない。)、それにしても、市内在住者でもない被告人が、市側の要請を容れて、二〇〇〇万円もの高額な寄附に応じたこと自体は事実なのであって、そのような被告人が、(右寄附に見合う経済的効果を得られなかった点はともかくとして、)予期に反して、一〇〇〇万円近い税金を支払わされた挙げ句、その行為を、調査特別委員会での調査の対象とされ、著しく名誉を害されたと感じた以上、市側に対し、その名誉感情を回復させるような何らかの措置を求めたいと考えるのは、無理からぬところと考えられよう。しかるに、これに対する市側(特に荒井市長)の対応は、問題が旧執行部が受けた寄附問題に端を発するもので、自らには責任がないという感覚からか、判示のように、その場限りで甚だ誠意のないものであったと認められる。そして、なかでも昭和六三年一一月二二日における荒井市長の発言は、市が被告人のための名誉回復措置をとってくれるのではないかという期待を被告人に抱かせるに十分なものであったと認められるが、右約束に喜んだ被告人が、JR高崎支社へ北上尾駅開業のゴーサインを出したのに対し、荒井市長は、結局、被告人のため何らの措置を講ずることなく、一二月一七日の開業という既成事実を積み上げてしまったと認められるのであって、右は、余りにも誠意がない態度といわれてもやむを得ず、右のような同市長の態度が、被告人をして本件犯行を決意させる動機となった点は、量刑上斟酌されて然るべきである。その二は、被告人が、結局二〇〇〇万円の取り戻しに成功しているとはいえ、本件は、法律的にはあくまで恐喝未遂罪を構成するに止まる点である。従って、本件においては、被告人が二〇〇〇万円という金員の取り戻しに成功したという事実を量刑上重視することは許されない。また、本件については、荒井市長はもとよりその余の上尾市職員の被害者意識が著しく希薄であり、一人として、被害を警察へ通報した者がなく、告訴状や被害届の提出が検討された形跡さえ全くないという点も、量刑にあたっては、考慮されるべきであろう。

五  総合評価・検討

そこで、右に検討したところに基づき、以下、総合的に検討する。まず、本件全体を通じて目につくのは、公務の適正を軽視し、あくまで自己の利益を追及しようとする被告人の自己中心的な姿勢である。そして、被告人は、三回にわたり、合計七二三万五〇〇〇円という高額の賄賂を乙課長及び丙町長に供与し、公務の適正に対する国民の信頼を裏切らせただけでなく、現実にも公務を歪曲させ、他方、自らは、これらの行為を通じて莫大な利益を手中に治めたのに、被告人の公判廷における言動からは、このことに対する真剣な反省の情が看取されない。被告人が、健全な社会の常識上贈賄罪を構成することに疑いがないと思われる乙事件についてまで、賄賂性を否認するに至っていることは、その一例であり、被告人のかかる態度は甚だ遺憾とされなければならない(なお丙事件及び恐喝事件における否認供述にも、そのような傾向が全くないわけではないが、いずれについても、証拠関係に照らし、事実認定上やや微妙な問題があるので、右はいまだ正当な防禦権の範囲内のものと認められる。従って、右両事件における被告人の供述態度を量刑上不利な情状として考慮するのは相当でない。)。そうすると、本件における被告人の刑責は重く、いずれにしても容易にこれを軽視し難いものと考えられるのであって、この際、被告人に対しては、断固懲役刑の実刑をもって臨み、施設内における厳格な矯正教育を通じ規範意識の覚醒を促すということも十分考慮に値するものといわなければならない。

しかし、他方において、既に各事件において指摘した諸事情、特に、乙事件においては、被告人の行為が、一定限度で新駅開設に貢献したという側面を有すること、動機に偶然性の要素があり、賄賂金額も著しく高額ではないこと、丙事件のうち、三〇〇万円の贈賄については、右翼対策費の返還という側面もないではなく、丙町長に、何らいわれのない利益を帰属させたわけではないこと、四〇〇万円の贈賄については、同町長にこれを要求されたという色彩が強いこと、更に恐喝事件については、上尾市側の対応の不誠実さが本件犯行を誘発する一因をなしていると認められ、動機に酌量の余地があること、被害者側の被害意識が希薄であることなどは、本件の量刑上それなりの意味を持つ事情というべきであろう。そして、右の点に加え、被告人が、難病の高月病による高度の身体障害(一級)を有する上、右病気を契機として入会した身体障害者の会において役員を努めるなど、社会に奉仕する意欲も認められること、恐喝の前歴一回及び業務上過失傷害罪の罰金前科一犯を除き何らの前科前歴を有しないこと、更には、贈賄罪と比べ法定刑の重い収賄罪に問われた公務員らが、いずれも辞職又は懲戒免職という社会的制裁を甘受した上でのことではあるが、各執行猶予付きの判決を受けていることなどをも併せ考察すると、今直ちに被告人を施設に収容するのはいささか酷に失する感を否めないので、被告人に対しては、今回に限り、長期間にわたりその刑の執行を猶予し、社会内における更正の機会を与えることとした。

第六  一部無罪の理由

一  公訴事実の要旨

平成元年一〇月七日付け起訴状記載の公訴事実第二・二の要旨は、被告人は、昭和六二年二月二〇日ころ、前記被告人方において、前記第一・三(一)のような職務権限を有する鶴ケ島町長丙に対し、婦人の家工事の設計・監理業者の選定について便宜な取り計らいを受けたこと、及び前同様今後同工事の建築業者等の指名選定につき便宜な取り計らいを受けたいとの趣旨のもとに、現金二〇〇万円を供与し、もって丙町長の職務に関し賄賂を供与したものである、というのである。

二  無罪の理由

1 関係証拠によると、被告人が、右公訴事実記載の日時・場所において、同記載の職務権限を有する丙町長に対し現金二〇〇万円を提供して受領させたことは、極めて明らかなところであり、また、右金二〇〇万円の提供前に、被告人から丙町長に対する×××設計の作品の採用方の働きかけ、及び、その後、同町長の右働きかけに対応する現実の行動が存したことは、前記第一・三(二)(三)の各「犯行に至る経緯」及び第三・二(二)の補足説明欄に記載したとおりである。そして、右の点に加え、「右金員は、被告人から二〇〇万円持ってくるよう指示されて持参したもので、被告人に対するお礼の趣旨であり、これが丙町長に渡るとは聞いていなかった。」とするN証言(記録一四七丁ないし一四八丁)を併せると、右金員提供の趣旨は、公訴事実記載のとおり認定し得るようにも考えられる。

2 しかし、被告人は、当公判廷において一貫して、右金員は、×××設計の丙町長に対する賄賂であって自己の賄賂ではなく、自分は、単にこれを取り次いだにすぎないとして、N社長及び丙町長とのやりとりを具体的に供述しているので、以下、この点について検討する。

3 この点に関する被告人の供述の要旨は、「一月一二日に、N社長が○○工業の事務所へ来て、『働く婦人の家工事の設計コンペに指名されたが、何としても取りたい。』『力になってくれませんか。』『町長につないでくれませんか。』『お礼は(受注金額の)テンパーセントできます。』と言うので、一月一四日に町長と電話で話した際、『(×××設計が)頼みにきているので、よかったら採用してやってくれませんか。』『条件はテンパーセントでお礼はすると言っていますよ。』と伝えた。その後、一九日に町長から×××設計に会いたい旨申し出があり、町長も本腰を入れてやるんだなと思ったので、翌日×××設計に金額を確かめると二〇〇万円と設定してきた。N社長は、直接町長と会って二〇〇万円と伝えると言ったが、生生しい贈賄になるのでそれを抑え、私が伝えることにした。二三日に町長がパースを見に来た日、N社長が帰ったあとで、『間違いなく二〇〇万はすると約束しておりますよ。』と伝えた。二月一七日にN社長が『必ず町長さんに渡して下さい。』と言って、二〇〇万円を持参したので、そのことを町長に伝え、二〇日に来宅してもらった。問題の二〇〇万円は、封筒に容れてワイフに金庫にしまってもらっていたが、当日ワイフに金庫から出させて、『これは×××設計からの約束のお礼のお金ですよ。』と言って渡した。」というものであり(記録九五四丁ないし九六六丁)、右供述は、前記ダイアリー(<押収番号略>)の各記載、証人甲2の証言、更には、丙=N証言によって要所を支えられている。

4 もっとも、被告人とN社長及び丙町長とのやりとりについては、各供述間に、重要な矛盾・対立も存在する。例えば、N社長は、被告人との間で、設計コンペで×××設計の作品を採用してもらうためのお礼(二〇〇万円)の話が出てこれを渡したことを認めながら、右は、被告人の方から要求されたからであるとし、また、前記のとおり、右はあくまで被告人に対するお礼であって、丙町長に渡されるとは聞いていなかった旨証言し(記録一一五丁ないし一一八丁、一四七丁ないし一四八丁)、また、丙町長は、被告人から、二月二〇日に被告人が金を渡そうとした時、「×××設計のNさんから来ました。」と言われたことを認めるものの、その際の金額は一〇〇万円であったとし(記録七〇三丁ないし七〇六丁)、また、被告人から×××設計の作品の採用方を依頼された事実を認めながら、その際、×××設計が一〇パーセントのお礼をすると被告人に言われた事実を否定する(記録七六五丁)。しかし、被告人の供述は、前記のとおり、ダイアリーの記載や甲2証言によってその要所を支えられているほか、右のとおり、丙=N証言中にも、これを支持する部分が相当数存在し、内容的にも、筋が通っていると考えられるのに対し、丙=N証言は、肝心な部分で不明瞭又は不合理で、自己の責任を回避又は軽減しようとする態度が窺われるので、被告人の供述と丙=N証言との対立点については、基本的に被告人の供述を前提として判断するのが相当であると考えられる。

5 のみならず、「右金二〇〇万円の提供は、×××設計の賄賂を取り次いだにすぎない。」とする被告人の供述は、(1)被告人がこれを丙町長に渡した際、「×××設計のNさんから来ました。」と言ったこと(これは前記のとおり、丙証言によっても裏付けられている。)、(2)右金員は、二月一七日にNから届けられたものを、被告人が、封金のまま、封筒に入れて妻甲2に金庫へ保管させ、当日同女に金庫から出させて丙町長に渡したものであること(この点に関する被告人の供述は、甲2証言及び丙証言によって裏付けられている。)、(3)N社長は、その後丙町長に対し、「甲会長(被告人)から二〇〇万円をよこせと言われたので、出しておきました。」と耳打ちしたこと(丙の平成元年一〇月二日付け検面一二項。なお、丙は、公判廷では右の事実を「あったような気がするが、はっきりしない。」として明確には認めないが、一応認めており――記録八〇〇丁――、また、Nも、公判廷ではこれを否定するが、警察官や検察官に対し、右のような供述をしたことを認めている。)など、証拠上優に肯認される客観的事実のほか、(4)婦人の家工事のような大がかりな公共工事は、×××設計にとって大きな魅力であった筈であり、N社長が、丙町長との間に介在する被告人を介してだけでなく、自ら直接賄賂を贈ってでも決定権を有する町長に働きかけたいという気持ちになるということは、十分考えられること(従って、N社長については、判示第一・二(三)の四〇〇万円の贈賄事件における熊井戸社長の場合と異なり、丙町長に対する贈賄の動機が顕著に認められること。なお、判示第三・二(三)4補足説明欄参照。)などの条理上当然に肯定される事実により、相当程度裏付けられているというべきであり、被告人の前記供述をにわかに排斥することはできない。

6 以上のとおり、本件においては、被告人が、×××設計のN社長から託された賄賂を単に取り次いだにすぎないのではないかという合理的疑いを払拭することができないので、本件公訴事実は、被告人が、「丙町長により自らが便宜な取り計らいを受けたこと等の謝礼の趣旨で」これを供与したとの点につき、いまだ証明がないことに帰着する。従って、右公訴事実につき、被告人を有罪と認めることはできないので、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡しをすることとする(なお、この点に関する被告人の行為については、訴因変更の手続きを経由すれば有罪の認定が可能となる余地があるが、右手続を経ることなく賄賂の取次ぎの事実を認定することはできない。そして、検察官は、第四〇回公判において、本件につき訴因変更請求をする意思がない旨明言しており、本件の罪質・態様、法定刑、更には併合審理中の他罪との軽重関係及び公判審理の経過等諸般の事情にかんがみると、本件は、検察官に対する訴因変更命令が義務的となる事案ではないというべきである。)。

よって、主文のとおり判決する(求刑 懲役三年)。

(裁判長裁判官木谷明 裁判官大島哲雄 裁判官藤田広美)

別紙<省略>

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